80歳を迎える母、20代から作り続けた〝洋服〟がすごい…貧しい時代「買えないなら自分で」 SNS絶賛
和裁の道に進んだ娘
そんな宮西さん自身、現在は和裁を仕事にしています。 20歳で岡山にある和裁の学校に進みましたが、背景には「洋裁は型を取るのが大変だから、和裁をやってみれば?」という母の勧めがありました。 「その選択肢もあるんだなと思って学校を選びましたが、入学したときは手縫いの基本である『運針』ができず、自分に縫えるようになるのか不安でした。『大変なところに来てしまった』と思いながらも毎日少しずつ練習し、できるようになりました」 当時、学校の友人たちも宮西さんが手作りの洋服を着ていることを知っていて、「お母さんいいなぁ、服作ってくれて」と言われることもあったそうです。 「私にとっては当たり前すぎることだったので、『そう?』くらいにしか答えていなかったかもしれません」 Xで紹介した青緑色のワンピースは、宮西さんが和裁学校に通うときに着ていた1枚です。 20~26歳の学生生活の間、何度も着ていたワンピース。香川から岡山まで、電車で瀬戸大橋を渡っていた情景が思い出されます。誰ともかぶらないお気に入りの1枚だったからこそ、手元に残してありました。 母に「みんなが『いいね』してくれてるよ」とSNSの反響を伝えると、「あんな服、まだ持っとったんか。着ないんだったら捨てなさい」という答えが。「またタンスにしまった」と返すと、笑っていたといいます。 捨てる前の名残惜しさから投稿した写真でしたが、ユーザーの反応を受けて取っておくことを決めました。 「常々、母に感謝はしていましたが、手作りの服は貴重だということ、母の技術はすごいんだということをに改めて気づかされました」 「母は、自分でつくると世界にひとつのオリジナルのものなので、そこがいいと言っています。たとえ安い値段でつくっていたとしても、誰ともかぶらず、特別感が違うんだ、と」
「沼にハマっている」
母が仕事をリタイアして十数年。今は好きなときに好きなだけミシンを踏み、4~5日で1着つくるそうです。 「つくるものがまだ決まっていないと、『何かほしいものはないのか』とすごく聞かれます。つくっていないと手持ちぶさたなのかもしれません」と宮西さん。母の姿をみて「今で言うところの『沼にハマっている感じですよね』」と話します。 「本人は死ぬまでミシンを踏む気でいて、仮に歩くことが難しくなってミシンが踏めなくなっても、布団の上でつくれる編み物をやると言っています。私も母のように、毎日趣味を楽しめるような老後を迎えたいです」