最後の大使が語る「旧ユーゴスラビア」問題を伝える難しさ
1990年代は、それまでの米ソ冷戦体制が終結し、民族紛争が噴出した時代でした。その象徴といえるのが「ユーゴスラビア紛争」でしょう。ユーゴが解体されていく過程で起きたこの紛争は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やコソボ紛争など、各共和国で紛争が相次ぎました。 【写真】W杯でモドリッチが活躍 旧「ユーゴ連邦」紛争の歴史と現在 元外交官で在ユーゴスラビア連邦共和国大使を務めた美根慶樹氏は「旧ユーゴ問題を伝えることはとても難しい」と言います。なぜ難しいのか。何が難しくさせているのか。美根氏に寄稿してもらいました。
知名度はイタリアと雲泥の差
2003年2月まで「ユーゴスラビア連邦共和国」という国がありました。いまは、「旧ユーゴスラビア」とか「旧ユーゴ」と呼ばれています。 旧ユーゴが位置するバルカン半島は、かつて「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。世界中でも特に不安定で物騒な地域だったのです。第一次世界大戦(1914~1918年)の引き金になったオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子暗殺事件が起こったのはまさに旧ユーゴ内のサラエボでした。 しかし、日本では旧ユーゴのことはあまり知られていません。決して小国ではなく、イタリアに近い(6分の5)面積があり、位置的には、アドリア海を隔てて西側がイタリア、東側が旧ユーゴとなります。ただこの地理的関係が頭の中に入っている人は、おそらく少ないでしょう。知名度はイタリアとは雲泥の差でした。 私は2001年から03年まで旧ユーゴの大使を務めました。ユーゴ連邦共和国としての最後の大使でした。今ベオグラード市内を走っている約100台のバスなど日本からの援助を獲得するため奔走し、そのため、この国のことを日本の方々によく知ってもらおうと色々工夫してみましたが、簡単ではありませんでした。
「スロベニア」と「スラボニア」?
旧ユーゴが分かりにくかった主な理由を3つ挙げましょう。 第1に「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と揶揄されるくらい複雑な国でした。6つの共和国とは、セルビア、モンテネグロ、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナおよびマケドニアであり、これらが連邦を構成して「1つの国家」になっていたのです。 「言語」は実際には1つでしたが、各共和国は独自の言語があると言い張ったので4つとされたのです。また、「民族」は定義いかんで数が違ってきます。 しかし、細かい点は別として、旧ユーゴが非常に複雑な国家であることは事実でした。世界広しと言えどもこのような国は他になかったでしょう。 第2に旧ユーゴには、スロベニアのほか、「スラボニア」という紛らわしい名称の地域がクロアチアにあります。さらに東ヨーロッパを見渡せば、「スロバキア」という国があります。これらはいずれも「スラブ」を語源とする名称です。さらに、「ユーゴスラビア」も、実は、同じ語源であり、その意味は「南スラブ」です。「5つの民族」とは、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人はみんなスラブ系です。「汎スラブ主義」というスラブ民族の連帯と統一を目指す運動もあります。 要するに、スラブ民族が、東ヨーロッパとバルカン地方へ移動した結果なのですが、部族(東、西および南スラブに分かれていました)、移住の時期、現地での環境などが違っていたため、名称が少しずつ違ってきたのです。