「ひろゆき」大ブームはどうして起きたのか?日常生活に喜びを見いだす「ダウンシフト」の世界的傾向
新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)で、テレワークが急速に普及し、ウェブ会議システムも爆発的に拡大した。この時期に働き方を含めた生き方について立ち止まって考えた人は多いはずだ。 アメリカでは、2022年の夏頃から「静かな退職」(Quiet Quitting)という言葉がソーシャルメディアを賑わせるようになった。震源地は、ニューヨーク在住のエンジニアであるザイド・カーンがTikTokに投稿したわずか17秒の動画だった。 「仕事はあなたの人生ではない:あなたの価値は、生産性の高さによって決まるものではない」といったメッセージが添えられたこの動画は、瞬く間に拡散され、Z世代を中心に多くの共感を集めることとなった。 「静かな退職」とは、「必要以上に働かないこと」を意味する。カーンはメディアの取材に対して「会社に必要以上に貢献しても、数年後にはその努力は忘れ去られるだろう。自分の生活や趣味を優先し、大切なものをもっと育てることに意識をシフトしてはどうか」などと応じた。 コロナ禍以降、残業時間が多くなっているにもかかわらず評価や報酬が得られないことに反発する労働者が増えたことなどが背景要因に挙げられている。 2021年以降、中国で広がった「寝そべり族」「寝そべり主義」は、「静かな退職」よりも急進的だ。競争社会に対する強い反発が根底にあり、家や車を買わず、結婚・出産を断念し、労働時間を最小限にするライフスタイルを奨励している。 2021年4月にネット掲示板に投稿された「寝そべりは正義だ」という文章が拡散されたことがきっかけだった。投稿者は、2年間以上働いていないが何の問題もないとし、若者に対する収入や結婚などの社会的圧力は伝統的な考え方であると主張した。 実は、お隣の韓国でも、10年ほど前から若い世代において「寝そべり族」的な諦めが浸透してきている。恋愛・結婚・出産を放棄する若者を指す「三放世代」という言葉が2011年頃に生まれ、それに就職やマイホームを加えた「五放世代」、さらに人間関係や希望も捨て去る「七放世代」に発展し、最終的にはすべてを諦める「N放世代」が登場した。住宅コストの高さや雇用状況の悪化などが直接的な引き金になっている。 こうした国々の若者たちに共通しているのは、過酷な現実に適応するための自己防衛的なライフスタイルの選択という側面である。しかも、これは世代論でくくれないムーブメントであることに注意が必要だ。 例えば、日本では壮年・中年の人々の間にも、不安定な経済状況や技術革新による脅威などへの対処として、セミリタイア的な働き方を志向したり、あるいはミニマリズムに傾倒したり、日常生活のささいな事柄に喜びを見いだす幸福論などを取り入れるダウンシフト的な移行がみられるからだ。 ■ひろゆきブームは始まりに過ぎない こうした状況下、日本で大ブームとなっているのがひろゆきだ。 「考え方のクセを変えることで、人生はラクになる」 「顔の整形よりも、考え方を整形したほうがたくさんの人を救える」 これは、ひろゆきのベストセラー『1%の努力』に書かれてある言葉だ。かつて匿名掲示板「2ちゃんねる」の開設者として知られたひろゆきは、2020年以降、インフルエンサーとして圧倒的人気を誇る一方で、自己啓発書の書き手としても頭角を現した。 『1%の努力』と同時期、書店には『エフォートレス思考 努力を最小化して成果を最大化する』(かんき出版、2021)という本が並んだ。 シリコンバレーのコンサルティング会社THIS Inc.のCEOグレッグ・マキューンの著作であり、40万部を突破した前著『エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする』(かんき出版、2014)の第2弾である。 マキューンは、多数の選択肢の中から本質的なものを見分けることこそがエッセンシャル思考の真髄だとし、本当に重要な物事を見極めるために必要なこととして、「じっくりと考える時間」「情報を集める時間」「遊び心」「十分な睡眠」「何を選ぶかという厳密な基準」の5つを挙げている。 実はこれは、ひろゆきが自著でしつこいほど訴えているスタンスでもある。そして、努力に対する考えにおいても両者は共通している。 マキューンは、「『努力した分だけ報われる』というのは、ただの幻想だ」と述べ、「努力と根性でやりとげるのではなく、すんなり実現するようなしくみをつくる」ことを提案。 ひろゆきも、「いかにラクして効率的に結果を出すか」(『ひろゆき流 ずるい問題解決の技術』)と述べており、「努力しないで何かを手に入れるための努力」(『無敵の思考』)を称揚する立場である。 ここ数年、マキューンのようなタイプの自己啓発書がやたらと増えている。ダウンシフトの時流がその大きな背景にあるが、より根本的な変化は、やはり「社会的な成功から個人的な幸福へ」「大きな成功から小さな幸福へ」という人々の関心の地殻変動だ。 ひろゆきブームは、このような必然的ともいえる国内外の趨勢の一端であり、単体で評価することにあまり意味はない。変化の兆しを知らせる様々な社会現象の一つに過ぎない。彼がコロナ禍以降、祭り上げられているのは、世の中が彼を好意的に解釈する時代精神の影響下にあるからである。 このように捉えると、日本社会の展望も見えてくる。恐らく大局的には、仕事よりもプライベートを優先し、身体を壊すような無理な働き方はせず、出世競争とも距離を置く人々がどんどん増えていくことだろう。 そして、経験の価値や効率性に関わるコストパフォーマンス(費用対効果)は重視され、大それた夢はもとより、見栄や世間体等々、自分の人生を不幸にしかねない “常識”、骨折り損に終わりそうな事柄を、残らず頭の中から取り除こうとし、できるだけシンプルに生きようとするだろう。「引き算志向で、脱力的で、自己防衛的なライフスタイルの拡大と定着」である。 わたしたちが新時代に相応しい生き方を模索している真っ最中で、今のところ、「がんばる」よりも「がんばらない」路線が相当の支持を集めていることは、今後を占う上で絶対に過小評価してはならない点である。 ※ 以上、真鍋厚氏の新刊『人生は心の持ち方で変えられる? 〈自己啓発文化〉の深層を解く』(光文社新書)をもとに再構成しました。日本人は自己啓発によって何を変えようとしてきたか?資本主義社会とは切っても切れない自己啓発の歴史を紐解きます。