【仮面ライダーヒロイン名鑑】『仮面ライダー鎧武』志田友美「私の心が絶対に折れないのは『仮面ライダー鎧武』の経験があったからです」
──撮影が始まってからは、どんな生活でしたか? 志田 朝から晩までの撮影が連日続くので、東映の撮影所がある大泉の近くにアパートを借りて、そこから通うことになりました。で、夢アドの活動があるときは都心に戻って、どうしても『鎧武』の撮影と被ったときは、夢アドのライブをお休みさせていただくこともありました。本当に過酷な1年間でした。 ──忙しすぎて、もう逃げ出したいと思うこともありましたか? 志田 正直、ありました(笑)。でも、実家が岩手だから東京から遠いし、もしいったん帰ってしまったらもう終わりだ、戻れないという感覚があったんです。実家がもっと東京に近かったら逃げ帰っていたかもしれないけど、お母さんに電話するぐらいしかできなくて。そう考えると、実家が岩手だったから逃げ出さずに踏ん張れた部分はあると思います。 ──「本当に過酷な1年間」とおっしゃっていましたが、長丁場の撮影でターニングポイントになった出来事を教えてください。 志田 後半のあるシーンの短いセリフで、監督が求める言い回しがどうしてもできなかったことがあったんです。何十カットもNGを出して、結局OKが出ずにそのシーンの撮影は翌日に持ち越し。正直、もうダメだと思いました。 共演者の方たちやスタッフさんに迷惑をかけて申し訳なさすぎるし、自分が情けなさすぎるし、撮影現場の裏で泣いて、家でお母さんに電話して泣いて、そのあとも泣いて。その日は、それまでの人生で一番泣きじゃくりました。 ──それが大きな転機になった? 志田 そうです。泣くまで演技したことで、恥じらいがなくなって、120%の力を出せるようになりました。心の皮が剥けた感じがします。あと気づいたんです。自分では演技にそこまで乗り気ではないと思っていたけど、こんなに大号泣するってことは、じつはそれだけ本気だったんだって。そこから気持ちが切り替わって、よりストイックに役や作品に向き合えるようになりました。その経験をしたことで、私は自分がやりたいから演技の仕事をしているんだ、自分の意志でこの世界にいるんだと自覚できて、志田友美の芯ができあがったと思います。 ──逆を言えばそれまでは芯ができあがっていなかった? 志田 自覚はなかったんですけど、恐らくそうだったんだと思います。私は小学校6年生に芸能のお仕事を始めたんです。それ以来、ありがたいことに途切れずお仕事が入っていって、それをこなしていくしかないみたいな感じだったんですね。 休みもほぼなかったから、自分が今どういう気持ちで仕事をしているのか、わからなくなっていたんです。でも、私はこの仕事が好きなんだ、芸能の世界で生きていくんだって自覚できたというか。その経験をしてから、さらに演じることが楽しくもなっていきました。