[大童澄瞳さん]「映像研には手を出すな!」の漫画家は発達障害…小中学校は不登校気味、通信制高校で映画作りに熱中
映画にささげた高校時代
――高校はどうでしたか。 通信制だったので通う回数は少なかったんですけど、スクーリングという登校日が決められていて、週2回以上はずっと通っていましたね。 高校で映画部に入って、映画を撮り始めました。不登校気味だった小学校、中学校ぐらいからアニメをネットで見るようになって、映像やアニメーションに興味を持つようになっていたのです。自分でパソコンを使って短いアニメを作っていました。 高校の映画部ではアニメーションは作っていなかったので、実写映画を撮りました。映画作りには相当、力をいれましたね。高校時代はほぼ映画部にささげたみたいな。脚本を書いてコンテも描いて俳優もこなしてカメラを回して、全部やっていました。 ――なぜ高校でそんなに積極的な姿勢に変わったのですか。 どういう転機があったのか、自分でもよくはわからないんです。中学ぐらいまで引きこもっていて、ずっと友達がいなかったので、友達が欲しいっていうのと、勉強したいっていう気持ちも高まっていたんですね。やっぱり人間はすごく変わる生き物だと思います。 ――「映像研には手を出すな!」は、3人の女子高生がアニメ制作に乗り出す漫画ですね。自分の体験をベースにしている部分があるんですか。 そうですね。多分にありますね。映画作りを通じて、仲間を獲得していくストーリーは、実体験も含んでます。教師との交渉とか、役者をやってくれそうな子に声をかけるとか、そういうこともやっていました。 ――対人関係のプレッシャーに弱いタイプではなかったんですか。 最終的な責任は全部、自分で負えるというのがあったんですよね。しがらみとかがあまりなくて、最終的には自分が何とかすればいいと思うと、映画部に関しては全然プレッシャーはなかったですね。 ――映画部には何人ぐらいいたんですか。 実働で5、6人ですかね。通信制の学校としてはすごく多い。 生徒がいないときに撮影をするので、夏休みはもう本当に毎日、学校に通っていました。 恋愛、アクション、SFとホラーも撮りました。在学期間は3年だったんですけど、その学校には部活の指導を行う外部委託指導員という制度がありまして、卒業後もこの指導員になったので、たぶん計6年ぐらい映画部で映画制作に携わりました。
おおわら・すみと
1993年生まれ、神奈川県出身。2016年、「映像研には手を出すな!」でデビュー、現在も「月刊!スピリッツ」(小学館)で連載中。2020年にアニメ化され、人気をあつめた。齋藤飛鳥さんらの出演で実写ドラマ化・映画化もされている。ユーチューブで 「大童澄瞳」公式チャンネル を配信中。