【江口のりこ】44歳、私が選んだ今とこれから。「テレビドラマも悪くないな。と思えるようになった気がする」なけなしの2万円から主演女優への道のり
15歳の夏に決めた 「東京に行って、役者になって、映画に出る」
中学3年生の夏、大好きな陸上部を引退。何もない町で、何もすることがなくなり、いよいよ楽しいことがひとつもなくなってしまったとき、私が出合ったのが映画でした。放課後、家に帰ってテレビをつけると、B Sでよく映画が放送されていて。映画の中にはいろんな世界が広がっていて、そこに登場する人達もいろんなことを楽しんでいる、それがとても面白く思えたというか。何もない町で、何もすることがない、毎日が面白くなかったからこそ。私の目には映画の中の世界がキラキラとより魅力的に見えたんでしょうね。 「東京に行って、役者になって、映画に出る」そう決めたとき、周りとは違う道を選択する怖さのようなものは特に感じませんでした。そもそも、我が家は一番上の兄が高校に行かずに働いていたので。そんな兄を近くで見ていたからこそ、自分の選択を特別なものとは思いませんでしたし。両親も反対することはなく、むしろ、父に関しては「自分も高校生活が全然楽しくなった。あんな楽しくないことをするんやったら、別に行かんでええぞ」と言ってくれましたからね。 ただ、一人だけ反対した人がいて。それは担任の先生でした。毎日、放課後になるたび「今日も話し合おう」と。そこからはずっと「なんで高校いかへんの? 行ったほうがいいよ」「いや、でも私はいかないから。やりたいことがあるから」という押し問答の繰り返し。初めて「女優になりたい」と伝えたときは「何いうてんの!」と怒られたのを覚えています。結果、先生は最後の最後まで納得してくれなかったんですけど、卒業したあとも私のことを心配してしばらく連絡をくれたんですよね。あのときは「しつこい先生やな」と思っていたけど、今思えば嬉しいことだなって思う……。先生、私の作品見てくれているかな。見てくれていたら嬉しいなぁ。
19歳、住み込みで新聞配達をしながら劇団で芝居を学ぶ
中学を卒業後、アルバイトでお金を貯めて2~3ヶ月で上京する予定だったのですが。そのアルバイトが全く続かず、結局、上京したのは中学を卒業してから約3年後。映画に出たいけどその方法がわからない、当時の私が「劇団に入ったら映画に出られるかも」と受けたのが「劇団東京乾電池」のオーディションでした。数ある劇団の中でも「劇団東京乾電池」を選んだのは映画でよく見る柄本(明)さんが主宰していたから。「あの人のいるところに行ったら、いいことがあるんじゃないかな」と思ったからなんです。 合格の知らせを受け、なけなしの2万円を握り締めて上京。劇団の入所式は偶然にも私の19歳の誕生日でした。そこからは、住み込みで新聞配達のバイトをしながら、劇団の研究生として芝居を学ぶ日々。家賃の安い部屋はオンボロで、風呂ナシなうえに狭い部屋のすみにはキノコが生えていたことも。当時はとにかく貧乏だったけど、それでも、私はすごく楽しかった。 女優になれるとは限らないですし、芝居の世界で食べていける保証もない、普通はそこで不安になるのかもしれませんよね。でも、私は不安を感じませんでした。高校に進学しないと決めたときも、上京するときも、今も昔もずっとそうなんですけど。私ね、基本的にまだ何も起きていない未来に対して不安を抱くってことがないんですよ。考えないように意識しているわけでなく、単純にその機能が抜け落ちているんでしょうね。でも、そのおかげで不安に足を引っ張られることもなく、自分の心の赴くままに前進することができるので、個人的には悪いことではないのかなって思っています。
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