【阪神】豊田寛、妻に尻たたかれ固まった覚悟「あんたにかかってる」プロ初安打で野球人生再出発
<日本生命セ・パ交流戦:オリックス0-5阪神>◇13日◇京セラドーム大阪 虎の起爆剤だ! 阪神3年目の豊田寛外野手(27)がオリックスとの「日本生命セ・パ交流戦」で、関西ダービー3連敗を阻止するマルチ安打を放った。岡田体制では初スタメンの7番で2回にプロ初安打を放つと、4回には23イニングぶり得点の口火を切る左中間二塁打。5点快勝を演出し、貧打にあえぐチームを救った。セ首位の広島との2差もキープ。14日からの交流戦ラスト、パ首位のソフトバンク3連戦も頼むぞ。 【写真】塁上で笑みを見せる豊田寛 ◇ ◇ ◇ 豊田は過去の栄光をとっくに捨てている。守るべきは愛する家族と、そしてチームの勝利だけだった。2回2死一塁、田嶋から右前打。止まりかけていた野球人生を、プロ初安打で動かした。「ほっとしています。プロ野球、始まったなって感じです」。試合後の第一声に実感を込めた。 4回1死一塁では左翼フェンス直撃の二塁打で好機を拡大。本塁打まであと1メートルほどの一撃で、一挙4得点の先制劇を呼び込んだ。チーム23イニングぶりの得点。プロ1年目の22年4月20日以来785日ぶり、岡田政権では初のスタメンで打線の起爆剤となった。 東海大相模3年夏、中日小笠原らと4番で全国制覇を果たした。27歳になり「もう10年前のことですから」と今を生きる。昨年は戸塚シニア、そして高校の後輩でもある森下が加入。外野手争いで押し出され、1度も1軍昇格はなかった。 強烈な競争社会の中、あと何年、野球で食べていけるのか…。そんな不安もゼロではなかった中、覚悟を決めた。「家族のために頑張らないといけないんです」。昨年12月に結婚を発表。夢を追い、日本一にもなった高校生がいつしか、一家の大黒柱となっていた。 妻は1つ年下だが、しっかり者だという。その妻には1軍昇格した7日の朝、家を出る時にカツを入れられた。 「ケツ(尻)、たたかれてきました。“あんたに(豊田家の生活が)かかってるんだから”ととらえています」 バシッと気合を注入され、表情が明るくなった。1軍登録された同日の西武戦では「セカンドアップの時、手が震えてました」。この日も初回に来田の打球を捕球できず。「緊張、ずっとしてました。『やべえ』って感じで」。プロ初安打の前に初失策を記録したが、バットで挽回。岡田監督も「(ミスを)取り返したから十分やん」と笑った。 ウエスタン・リーグで打率3割2分9厘を記録した打棒を見せつけ、オリックスとの「関西ダービー」3連敗を阻止。負ければ貯金0の危機で、首位広島との2差をキープした。プロ3年目。社会人出身で即戦力を期待された背番号61は前しか見ていない。「焦りはあるけど、最後だと思ってやっていた。思い切りやりました」。ラストチャンスをものにした男が、虎の尻をたたく。【中野椋】 ◆阪神と東海大相模 97年生まれの7番豊田(甲子園最高成績は3年夏優勝)と00年生まれの1番森下(3年春4強)の2人がスタメンで勝利に貢献した。同校出身の複数の選手が、1軍公式戦にそろって出場したのは球団初。阪神には01年生まれの遠藤成内野手(2年春4強)も在籍している。阪神では過去に、岡部憲章投手が88~89年、早川健一郎外野手が03~04年にそれぞれ公式戦に出場した。他球団では巨人で、昨季まで指揮した原辰徳監督と菅野智之投手が同校出身。原監督は現役時代、89~90年に元チームメート津末英明内野手と再び同僚になったことも。また、中日では、16~17年に森野将彦内野手と小笠原慎之介投手がそろって在籍した例がある。 ★豊田寛(とよだ・ひろし) ◆生まれ 1997年(平9)4月28日、横浜市生まれ。 ◆球歴 川上北小時代に戸塚アイアンボンドスで野球を始める。名瀬中では戸塚シニアに所属。東海大相模、国際武道大、日立製作所を経て、21年ドラフト6位で阪神入団。 ◆高校 2年夏と3年夏に甲子園出場し、3年夏は4番で全国制覇。同学年は中日小笠原、ロッテ吉田。決勝の仙台育英戦では佐藤世那(元オリックス)から4安打3打点をマークし、同年U18日本代表に選ばれ準優勝。 ◆大学 1年春からベンチ入り。2年春から4季連続リーグ優勝。外野手でベストナインを4度受賞。1学年上の先輩に阪神伊藤将がいる。 ◆新婚 昨年12月に25歳の一般女性と結婚したことを発表。 ◆ニックネーム チーム内で「ヒロシ」呼びが定着の愛されキャラ。 ◆サイズ 178センチ、88キロ。右投げ右打ち。