「天才」に近づくために、私たちは何ができるだろうか
天才にはかなわないが… 天才は寝ている時にふっと思いついたことを枕元のノートに書きつけておくといった話を昔聞いたことがある。あるいはリラックスしている時に素晴らしいヒントを得たという話もある。 天才の発想は凡人の及ぶところではない。凡人には新しい発想はできないのだろうか。私の体験からすると凡人にはそのような発想は無理と思われる。しかし、凡人にも新しい発想をする方法がまったくないわけではない。それは訓練である。 このたび『人はどのように鉄を作ってきたか』(講談社ブルーバックス)を上梓した私は、飛驒と美濃の国境の山奥で生まれ育った。自然にあふれた山紫水明の地は格好の遊び場であった。山に入って植物採集をやり、川では黄鉄鉱を金と思って拾い集めた。 折り畳みナイフの肥後守は必需品であった。糸巻きや箸、ゴム紐などおもちゃの材料は探せばいくらでもあった。生家は薬屋を営んでおり、商品を送ってくる木箱や釘もおもちゃの材料であった。敷居に釘を打ちこれに板を引っ掛けて鉋を掛けた。しまいには敷居の溝が削られて戸が外れるようになってしまった。 時計は修理すると言って何個壊したか知れない。町には金属類を扱う屑屋があり銅線を貰い五寸釘に巻いて電磁石を作り、缶詰のブリキを切ってモールス通信機やモーターを作った。 小学校や中学校の放送室には、使われなくなった放送機器やダルマ管と呼ぶ真空管が放置されていた。これを貰ってラジオやアンプ、無線機を作った。全長1m程ある自衛艦の模型も作った。この設計図は雑誌に掲載されていた小さな図面を自作した拡大器で拡大し、日光写真の印画紙も作り焼き付けた。 大学を卒業する時は大学闘争が盛んな時で、将来どう生きるかに悩んでいた。結局、研究者の道を選んだが、能力があるとは思えなかった。博士課程の研究論文を提出したところ教授から、この論文は何が新しいのかと質問された。 新しい測定手法を開発し、たくさんのデータを採ったが、新しい考えが入っているかと言われると答えに窮した。すぐに6ヵ月の在学延長願を教授会に提出し、新たに理論的解析法を考案して書き直し、学位を授与された。学生時代、データが出始めるとそれに熱中してしまい、何のためにデータを採っているかその目的を忘れてしまいがちであった。凡人の凡人たる所以である。 重要なのはこの能力 博士課程の終わり頃、学会で三つの研究を発表した。ある教授からこれは全て君が自分の考えでやったのかと質問され、オリジナルな研究の評価が高いことに気づかされた。 しかし、オリジナルな考えを常に発想するにはどうしたら良いか。そこで、学会や研究会などで年2回はオリジナルな考えを発表することを義務として課すことにした。 始めてみるとこれは大変なことであった。講演大会が終わると次の大会で話すネタを考えねばならない。それこそ、寝ても覚めても、通勤の電車の中でも考えた。当たり前のことであるが、今までの研究結果を整理して考察し、従来の学説との違いを見つけ、この現象はなぜ起こるのかを考え研究論文に仕上げた。 これは新しい発想をするための訓練である。その結果、現象を観察すると次第にその中に面白い課題を見つけ出すことができるようになった。 もう一つの訓練は、国際会議や研究会で必ず質問することである。欧米の若い学生は特に活発に質問する。質問をするためには、限られた時間内に発表者の研究内容を理解し、自分の論理と突き合わせて論理の矛盾や問題点を指摘し、さらに研究を発展させる提案をする。 これは思考の整理の訓練である。自分の持っている学問の基盤を常に意識し、明確にすることができる。また、的を射た質問であれば他の質問者がそれを引き継ぎ討論が盛り上がる。 「どこにでも面白い事を見つける能力」を身に付けることが重要である。「面白い事」は現実に見えている事象に隠れていることが多い、それを感じ取ること。このためには感動する心を涵養する必要がある。 美術や音楽の鑑賞は重要な方法である。また、様々な考えや経験を持った人達と交流することである。そして面白い事を見つけたら実際にやってみることである。失敗は諦めることにある。諦めずしつこく継続して行えば必ず道は開ける。 もちろん同じことを繰り返すわけではない。どのようにしたら解決に到達できるかを常に考え続けることである。そして研究や仕事に区切りを付け、成果をまとめて一段ずつ階段を上ることである。 禅に次の言葉がある。大道無門千差路有り此の関を透得せば乾坤に独歩せん。私流に読めば、面白い事を見つける心が身に付けば何事にも煩わされることはない、となろうか。 読書人の雑誌「本」2017年6月号より
永田 和宏(京都造形芸術大学客員教授)