資本でも宗教でもない。社会起業家が模索する、もう一つの生き方。
その大学院が東洋思想的なMBAが取れるところで、当時の自分の思想と合っていたのもよかったと思います。 大きな資本の流れは変えられないかもしれない。だけど、西洋の資本主義の「とにかく稼げ、とにかく成長しろ」というものとは違う人や社会の成長のあり方だってあるのではないか......そんなことを教授たちもずっと悩んでいらっしゃったので、それを見て私も一緒に悩みたいなと思いました。世界はとても複雑で、一つ解決したら何かに問題が出てしまう。そんな悔しくも悲しい社会の中で、どこを倒せばドミノのように少しでも社会が前に進むのだろうと考え続け、立ち上げたのがSOLITです。 何を事業にするか決めるとき、自分が体験したことがあるもの、続けられるもの、心が晴れやかになるものは何か考え、いくつかの点が重なったのが「服」でした。自己表現を制限しているものを解決しながら、社会を前に進めたい。そんな思いで、最初にファッションという分野を選びました。
決定するのは、あなた。「助ける人 / 助けられる人」の二分構造から抜け出す
SOLITを始めた時に、絶対にしないでおこうと決めたことが私にはあって。それは、「勝手に決めつけないこと」「助けてあげようとしないこと」なんですね。 ── 決めつけない、助けようとしない、ですか。
── 「助ける人 / 助けられる人」「寄付する人 / される人」という二分構造が作られると、物事が進みやすくなる側面もあるのですが、カテゴライズした瞬間に区別が生まれて差別が起こり、また構造化されることでそこから抜け出せなくなってしまうということも起こります。 もちろん寄付はないよりはあったほうがいいのですが、それは実は彼らに選択肢を与えているのではなく、「あなたは助けられる立場の人である」ということを押し付けているのだとも言えます。 そこをもっと民主化して、「本人が本当にヘルプを欲しがっているのか」「どんなヘルプが必要なのか」「むしろヘルプでない方がいいのではないか」といったところから、みんながちゃんと意思決定できる状態である方が本当はいいなと思っているんです。 ── 寄付にはそういう矛盾もあるわけですね。その気づきは、防災ガールの時に得たものなんでしょうか。