「室井慎次」文机の上にある「全集 黒澤明」と「踊る大捜査線」のルーツ
「ノライヌさん?」。警視庁刑事部交渉課課長・小池茂(小泉孝太郎)は犯行グループの主犯格とおぼしき人物に、オンラインゲーム上のボイスチャット機能を通じて語りかける。「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」(本広克行監督、2010年)の一幕である【図1】。 【写真】和久平八郎(いかりや長介)が捕らわれていた焼却炉に置かれていた「黒澤塗料」と書かれた一斗缶 犯人がハンドルネームとして使用している〝ノライヌ〟が、黒澤明のサスペンス映画「野良犬」(1949年)を踏まえたものであることは、冒頭にこれ見よがしに映り込む黒澤の代表作「生きる」(52年)のポスターとのつながりから明らかだろう。
「踊る大捜査線 THE MOVIE3」では、湾岸署の引っ越し作業中に署内から拳銃が盗まれるという事件が発生する。筋立ての点から言っても、若い刑事(三船敏郎)が盗まれた拳銃を探す「野良犬」と共通している。また、主人公の青島(織田裕二)が医者から末期の肺がんである可能性を告げられており、余命宣告を受けた公務員(志村喬)が最後に一花咲かせようとする「生きる」の要素を取り入れてもいる。 「踊る大捜査線」(テレビシリーズの放送は97年。これに続く劇場版を含め、シリーズのほぼすべての脚本を君塚良一が手掛けている)は、先行する名作映画から数々の引用をおこなってきたことで知られるシリーズである。参照される作品は洋の東西を問わず、また実写とアニメーションの別を問わず多岐にわたるが、とりわけ黒澤映画への目配せは際立っている。
第1作のオマージュ「天国と地獄」
「いちばん好きな映画」を問われて返答に窮した経験のある映画ファンは少なくないだろう。これまでに鑑賞してきたあまたの作品のなかからたった1本だけを選び出すのは容易な業ではない。また、相手がその作品を知っているかどうかによって答えを変えることもある(意を決して告げたタイトルが相手に響かず、たいしたリアクションをしてもらえなかった寂しさを知るすべての人に幸あれ)。同様に「いちばんおもしろい映画」を答えるのも難しい。 かくいう私自身も、とうてい1本には絞り込めそうにない。ただし、おもしろい映画を5本挙げていいと言われたら、黒澤明の「天国と地獄」(63年)は確実にランクインする。ともすれば芸術映画の巨匠と見なされている黒澤だが、私にとっては史上最高の娯楽映画作家であり(もちろんその芸術性を否定するものではない)、「天国と地獄」は私が知る限り最高のサスペンス映画である。そして黒澤の「天国と地獄」はまた、よく知られているように「踊る大捜査線」の劇場版第1作「踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!」(本広克行監督、98年)が盛大にオマージュをささげていた映画でもある。