鄭義信×大鶴佐助インタビュー 大衆演劇の一座を描く劇団「ヒトハダ」第2回公演が間もなく開幕!
2年前に旗揚げされた劇団「ヒトハダ」。その顔ぶれは作・演出を担う鄭義信を筆頭に、浅野雅博、尾上寛之、櫻井章喜、梅沢昌代と手練ればかり。最年少の大鶴佐助が座長を担っているのも、また興味深い。そんなヒトハダの二度目の公演は、戦時下における大衆演劇の一座を舞台にした『旅芸人の記録』。稽古前のある日、鄭と大鶴に話を訊かせてもらった。 【全ての写真】鄭義信×大鶴佐助の撮り下ろしカット
戦時下だからこそ人は娯楽を欲しているのだと思います
――「ヒトハダ」は手練れの演劇人6人により2年前に旗揚げされました。最初に声を上げられたのは、浅野雅博さんと尾上寛之さんだったんですよね。 鄭 浅野くんとヒロ(=尾上寛之)から、「ふたり芝居をやろうと思っているんです」と声をかけられたのがきっかけです。で、なんとなく飲み屋で人数が増えていき、最後に梅ちゃん(=梅沢昌代)が「私も入れて」とやって来て、いつの間にか劇団になった感じですね。 大鶴 ただサクさん(=櫻井章喜)だけは誰が誘ったかわからないという……(笑)。 鄭 そう、不明だね(笑)。 ――最年少の大鶴さんが座長を務めることになった理由は? 鄭 それは選挙制で。 大鶴 いやいや、絶対にみんな面倒くさいから、僕に押しつけただけだと思いますよ(笑)。 鄭 (笑)。 ――待望の第2回公演『旅芸人の記録』は、タイトルにもある通り大衆演劇の世界が舞台になっています。その創作の経緯は? 鄭 前作の『僕は歌う、青空とコーラと君のために』が、進駐軍の歌謡グループを題材にした戦中の話だったんです。で、今回はどうしようかと話していた時に、日本の歌謡史とか大衆演劇史って面白いよねと。戦時中にも関わらず、映画とか大衆演劇とか軽演劇には、やんややんやと人が入っていたわけで、やっぱり人はどんな時でも娯楽を欲しているんだと。世界ではいまだに戦争が終わらず、いつその波が日本に来るかもわからない。そういうこともあって、戦時下の、大衆演劇の話をやってみたいと思ったんです。 ――大鶴さんは台本を読まれてどんな印象を受けましたか? 大鶴 やっぱり今伝えるべき内容だと思いました。前回公演がちょうどロシアのウクライナ侵攻が始まった時で、2年経って2回目をやろうという時も、いまだに戦争は終わらず続いている。今回の台本を読んで、改めて僕たちはあの戦争を覚えておかなければいけないなと。ただ今回初めて知りましたが、当時シミキン(=清水金一)の舞台なんかは客が2階から落っこちるくらい盛況だったと。それがすごく意外で。 鄭 空襲警報が鳴って一度は逃げるんだけど、落ち着くとみんなまた戻って来る。検閲官が止めようとしても、「なに言ってんだ、バカ野郎!」なんて喧嘩になって結局やり始めちゃうと(笑)。そういうのもすごく面白いなと思ったんですよね。 大鶴 本当に。そういう時代だったからこそ、みんな娯楽を求めていたんでしょうね。