野村萬斎さん「ここほどいい能楽堂はない」福岡市の「大濠公園能楽堂」で受け継がれる伝統
ノマ企画代表 竹内馨深さん「すごいって、やっと見れますね。東京でもチケットがとれないほどの公演だった。この福岡で『釣狐』をやっていただけるということで驚きました。絶対見たいっていう方が集まってきた。大入り満員」 ■公演では有志が運営手伝い 「万作・萬斎の会」の公演では、毎回30人ほどの有志が運営を手伝います。意外にも手作り興行なんです。 「ふくおか万作・萬斎の会」女性スタッフ「野間涼ミさんからの引継ぎがあって、熱い思いを引き継ぎながら来ている会です」 男性スタッフ「五十数回お手伝いさせてもらっています。芸術を素直に愛して、それを広めたい。狂言の面白さを少しでも伝えたい」 野間涼ミさんの芸術への情熱にひかれた人たちが力をあわせ、「ふくおか万作・萬斎の会」は地元での能楽発展の一翼を担ってきました。 野村萬斎さん「手作りでもあり、突っ込んだ鑑賞をしようという意気込みを含めて、全国見渡しても稀有だと思います」 観客「虫のようなものを面白く表現できるんだな」 観客(こども)「動きも綺麗だったしすごかった」 芸術を愛する人たちの「想いのリレー」によって、「万作・萬斎の会」の公演は、大濠公園能楽堂の定番となっていきました。 ノマ企画代表 竹内馨深さん「『釣狐』は能楽堂でしかできない大曲・秘曲であり、能楽堂とともにスタートしたわけです」 ■九州初の能楽堂「大濠公園能楽堂」 福岡で長年続けられている狂言、その舞台となっている「大濠公園能楽堂」はどのようないきさつで生まれたのでしょうか。 能楽師 坂口信男さん「命が無いのと一緒で、能楽師やっていけないよね」 1986年、九州初の能楽堂としてその歴史をスタートさせた「大濠公園能楽堂」。 その1年半後、野村万作さん・萬斎さん親子は、この舞台を踏みました。 ■福岡の能楽師の活動で能楽堂建設へ 大濠公園能楽堂 高山栄一郎館長「坂口先生、その方々が県と一緒になって作られました」 能楽師坂口信男さん。去年、福岡県文化賞を受賞し、長きにわたって福岡能楽界をけん引してきました。 坂口さんは父親の雅介さんたちが能楽堂設立に動いた当時をこう振り返ります。
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