排他的な移民政策が可能にした戦後民主主義 グローバル化の時代に日本の民主主義はどこへ向かうのか(古市憲寿)
韓国で戒厳令が発令された日、たまたま台湾にいた。台湾では軍事独裁政権によって、1987年まで戒厳状態が続いていた。民主化が達成されてから40年足らずということもあり、至る所に「民主主義」に関する展示が溢れている。
台北でいえば、国立中正紀念堂や中華民国総統府はもちろん、歴史に関する博物館では決まって民主化コーナーがある。僕が今回立ち寄ることになったのは國史館。興味深かったのは、日本統治時代の選挙特集である。1935年に地方選挙が実施されていたのだ。年間納税額5円以上、25歳以上の男性限定の制限選挙だが、さまざまな広報活動が実施された。「捨てるな一票正しく選べ」「小さな一票大きな使命」などの標語は現代と大差がない。 選挙スゴロクというボードゲームも作られた。「帝国臣民タル男子」が租税を納めたり、選挙事務所を設置したりして、栄えある当選を目指すスゴロクだ。途中では「税金滞納」で六つ戻る、「期日告示前運動」で罰金といったコマもある。遊びを通じてでも、何とかして選挙制度を広めたいという思いが伝わってくる。
一方で今と感覚が違うと思ったのは、1939年実施の第2回選挙ポスター。「銃後の総親和」という標語と共に、しめ縄と紙垂(かみしで)が巻かれた投票箱には日の丸が描かれている。真っ赤な背景には軍用機が飛ぶ。「民主主義」「戦争」「愛国心」が一体化したポスターだ。 だが冷静になって西洋史を振り返れば、後二者との組み合わせは「民主主義」の原点とも言えそうである。フランス革命など一連の市民革命は、身分制を否定し、平等な「国民」を創出した。そうして生まれた民主主義国家は、愛国心の名のもとに戦争を繰り返してきた。戦争自体は古代から存在したが、20世紀ほど国家のために命が犠牲になった時代はない。 日本の民主主義はどこへ向かうのだろうか。いわゆる「戦後民主主義」は、「民主主義」と「愛国心」「戦争」を切り離す実験だったといえるのかもしれない。そこで問題となるのは、「民主主義」を享受できる範囲をどこまで認めるかだ。民主主義が成立するためには、そのメンバー(国民)が一定の価値観や文化を共有していると信じ合うことが重要である。 ある時期までの日本は、この問題を回避するのに成功してきた。できる限り移民を受け入れない政策によって、「日本」や「日本人」が自明な存在だと思われていたからだ。わざわざ「愛国心」など議論する必要もなかった。その意味で、「戦後民主主義」は極めて排他的な移民政策によって可能になったともいえる。 だが時代は変わりつつある。政治にまるで関心がなく仕事もしていない日本生まれの「日本人」と、強い日本愛を持ち経済的にも成功した、外国出身で帰化した「日本人」が混在する時代に、民主主義はどう形を変えていくのか。その時、選挙ポスターはどうなるのか。そもそも民主主義が続くかを含め未来は不透明だ。 古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。 「週刊新潮」2025年12月26日号 掲載
新潮社