「危険人物が容易に近づける」愛子さまの訪問先に凶刃迫る、令和皇室の“国民と共に歩む”姿勢の落とし穴
過去に起きた皇族を狙う事件
皇族を狙う事件は過去にもしばしば起きている。 「'75年、当時天皇、皇后両陛下だった上皇ご夫妻は、初めて沖縄県を訪問されました。看護要員として戦場に動員され、亡くなった『ひめゆり学徒隊』を慰霊する『ひめゆりの塔』に献花をされた際、過激派から火炎瓶を投げられる事件が起こったのです。また、上皇ご夫妻を巡っては、'92年、山形県の国民体育大会で、男が発煙筒を投げつけるという事件もありました」(皇室ジャーナリスト、以下同) また、秋篠宮家の長男・悠仁さまの身に起こった事件も記憶に新しい。 「'19年、当時お茶の水女子大学附属中学校に通われていた悠仁さまの机に、刃物が置かれる事件が発生。事件後、当時57歳の男が逮捕され、有罪判決が下っています。 いずれの事件も、ケガなどの大事には至らなかったものの、皇室と国民との距離感が縮まっている近年、予期せぬ襲撃によるリスクは高まっているのです」 皇室と国民との距離感の変化について、元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんはこう解説する。 「平成になって天皇の在り方は大きく変わりました。象徴的な出来事が、 '91年に雲仙普賢岳の噴火に伴うお見舞いで長崎県を訪問されたときにありました。天皇は体育館の床に膝をついて被災者とお話しされたのですが、これが大きな話題になりました。上皇陛下は“行動あってこその象徴”とのお考えでしたから、国民と共に歩む姿勢を具現化されたものといえます。このお考えは今上陛下も同じだと思います」 前出のつげさんは、令和に入り、皇室と国民の距離感はさらに近づいたと話す。 「陛下は'85年、イギリス留学から帰国された際の記者会見で“これからは国民の中に入っていく皇室が必要”とお話しされたのです。令和に入り、陛下は雅子さまと共にそのお言葉を実行なさろうとしている様子がうかがえます。 例えば、今年の夏、那須で静養された際も、那須塩原駅で出迎えた人々に自ら歩み寄って声をかけておられました。平成は、“国民に寄り添うスタイル”でしたが、令和はそこから一歩進んで“国民の輪の中に入っていくスタイル”へ変化したようにお見受けします」(つげさん)