ホンダ初代シビック誕生までのサイドBストーリー【昔のホンダは自動車業界のYouTuberだった!?】
他人がやらない凄いことをやる。それが手っ取り早く世間の注目を集める効果的な手段であることは、今も昔も変わりない。テレビのバラエティ番組やYouTuberたちが日々目指しているのもそれだ。ただし、それが時に大しくじりに結びつく諸刃の剣であることもまた、今も昔も変わりない。テレビや動画サイトの炎上騒ぎはたいていは話題として消費されて終わるが、自動車メーカーがやらかすと一大事になる。シビック登場以前のホンダは、まさにそうだったのだ。 【画像】ホンダ初代シビック誕生サイドBストーリー
圧倒的な高性能ぶりでライバルを圧倒したN360だが、当時の世評は世知辛くて…
1967年春にホンダが発売した軽自動車のN360は、レースでの活躍ですでに世界に名を轟かせていた同社の2輪車用をベースとした空冷エンジンを搭載。他社の軽自動車を大きくしのぐ高性能で、たちまち若者たちを虜にした。他人がやらない凄いことでバズったわけだ。 けれど当時のホンダは4輪車を作り始めて間もない上に、そもそもFF(前輪駆動)車自体が新しい技術で、走行特性も十分に解析されてはいなかった。 今では高性能エンジンと前輪駆動の組み合わせでは、限界領域での操縦性が神経質になることは広く知られ、それを躾けるサスペンションのノウハウもあるが、当時は違う。 結果、血の気の多い若者が運転するN360の事故は多発し、消費者団体から欠陥車として告発されてしまうのだ。 ◆2輪メーカーから4輪メーカーへの本格進出の先駆けとなったN360。 ◆2BOXレイアウトを上手に活用することで、サイズ以上のキャビン空間を実現するなど、優れた設計が光るN360。 ◆354ccの空冷4ストロークの2気筒エンジンは31ps(初期)を発揮するなど、当時のライバル勢より際立った性能を発揮。
空冷エンジンが優れてる! そんな主張は社内からも異論噴出…
続く1969年に、同社初の本格小型乗用車として登場した1300セダン/クーペでも、派手にやらかした。 1.3Lの排気量から、当時は2L級の数値だった100馬力を絞りだしたこと自体は大したものだった。 ただし、開発を率いた創業社長の本田宗一郎氏は、「水冷エンジンだってけっきょく冷やすのは空気なんだから、空冷のほうが合理的なんだ」と主張して、複雑な二重構造の空冷エンジンを開発させたのだ。 その高性能ぶりはトヨタも慌てさせたほどだったが、高価なオールアルミ製空冷エンジンは水冷より重くなり、ハンドリングが悪いうえに前輪のタイヤが異様に早く減り、ヒーターも効かないなど、商品としては問題点が多く、想像以上に売れなかった。 ◆1300の空冷1298cc直列4気筒エンジンは100psを達成。一体式二重空冷という独自のエンジン構造を採用することで熱問題の解決を狙ったが、重量増という深刻な副産物も招いてしまう。また、エンジンやオイルタンクにアルミ素材が多用されたことで製造コストが高かったことも残念な結果に終わった理由のひとつ。 ◆当時の2L級モデルに匹敵する際立った動力性能が与えられた「ホンダらしい」クルマだったが、バランスの悪さもあって商業的には失敗に終わってしまった。 ◆空冷エンジンに限界を感じたホンダが、1972年に投入したのが145シリーズ。実質的に1300のビックマイナーチェンジモデルになるが、空冷から水冷に変更されたことで前後バランスの悪さも解消。クルマとしての実力は格段に高まったが、販売面は振るわず、1974年に生産終了となっている。