日本の離婚法は、国際標準の「現代」が実現できていないという「残念な現実」…「DV等被害者の人権」が国家によって守られる海外との「極端な違い」
「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 【写真】「合意しないと離婚できない」という日本の制度、先進国では少数派… 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈「別居期間が長くても相手が合意しないと離婚できない」という日本の制度は、じつは先進国では少数派だという「意外な事実」〉にひきつづき、共同・単独親権めぐる法意識につき、そのあるべき姿をも見据えながら検討します。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。
共同親権論争と法意識
離婚後の父母の親権については、従来はいずれか一方が親権をもつという単独親権制度だったが、2024年5月成立の家族法改正(2026年施行予定)の結果、「父母の協議により共同親権か単独親権かを選択し、合意ができない場合には当事者の請求によって家裁が親権者を定める。裁判所は、DVや子への虐待を認めた場合などには単独親権とする。また、裁判所は、子またはその親族の請求により事後的に親権者を変更することができる」との内容に改められた。 共同親権制度導入の是非については、上の改正前に共同親権論争などと呼ばれる論争がさかんであったことから、ご存じの方も多いと思う。そして、この問題については、人々の意見、法意識が、なお、区々に分かれているといえよう。 そこで、制度のあるべき姿はいかなるものかという観点から考察してみたい。 私は、共同親権それ自体は、「両親と子、また両親どうしの関係に問題がない場合について認めるというのであれば」望ましい制度と考える。 もっとも、海外の制度は、家裁等関係機関の注意深い監視とケア(たとえば、一方の親に何らかの問題があれば家裁等関係機関が即時に介入して適切な処置をとるなど)とセットになっている。しかし、こうした関係機関の機能が十分に果たされていない(むしろ、手つかずというほうに近い)日本では、適切な制度的手当てのないままにこれを実施すると、さまざまな問題や紛争が生じるおそれが大きい。 これについては、妻の側がより被害を被りやすいとの意見が、法律家には多い。私自身も、離婚訴訟、人身保護請求、いわゆるDV防止法による保護命令申立て事件等の経験から、妻のほうに問題のある事案も中には存在する(拙著『民事裁判入門──裁判官は何を見ているのか』〔講談社現代新書〕213頁以下)ものの、全体としてみれば、妻の側がより被害を被りやすく、その程度もより大きなものとなりやすいのが事実と考える。 典型的な問題例としては、「肉体的・精神的被害にあっている妻が、離婚の条件として共同親権をのまされ、それが、元夫が元妻に影響を及ぼし続けるための手段として利用される」というものが挙げられている。 人間どうし一般の関係で何が難しいといって、「第三者が関与しない二人だけの関係で、一方の側に性格的、人格的な問題がある場合のそれ」ほど難しいものはない。被害を受ける側は、徹底的な我慢と忍従を強いられる。日本のように、「結婚、離婚は当事者の問題」という意識が強い国では、ことにそうなりやすい。これについては、私は、これまでの法律家、学者としての経験から、断言できる。 こうした問題を考えるなら、従来の単独親権制度を維持すべきだったという考え方にも相当の理由はある。 また、離婚後共同親権の適切な実現に向けて第一歩を踏み出すということであれば、その要件については、(1)とりあえず、「両親と子、また両親どうしの関係に問題がない場合」に限定するとともに、(2)「当事者の申立てに基づき簡易な審理を行った上での家裁、あるいは家裁の監督する機関の許可」を必要とし、家裁等が当事者の意思や具体的な共同親権行使の方法(子が両親の間を、週末等に、あるいは相互に期間を決めて行き来するのか、一方とは面会交流のみが原則かなど)について確認した上でこれを認めることとするのが相当だったと考える。 父母間の協議だけで離婚後共同親権を認めると、前記のとおり、力関係の弱い者が合意を強いられるなどのことから種々の問題が生じて収拾がつかなくなり、ひいては子の福祉にも大きな悪影響を及ぼし、制度の信頼もそこなわれるおそれが否定できないからだ。 以上の前提として、日本社会では、今なお、法的な問題が生じ、かつ当事者間の対立が激しい場合に、双方が、とりあえず感情を離れ冷静に話し合って解決する伝統にはいささか乏しいという事実も、考慮されるべきであろう。なお、冷静な話合いによる解決については、「そういうことができる夫婦は、日本では離婚しません」とある家裁判事が述べていたとのエピソードを、家族法の専門家である水野紀子教授が引いている。確かに、これは、家裁裁判官ならではの鋭い感想であり、正しい部分を含むかもしれない(水野紀子「講座『日本家族法を考える』」〔法学教室四八七号以下に連載〕の第12回。以下、この連載については、単に、「水野第○回」として引用する。なお、水野教授は、著者の友人で時に意見交換をもする仲である)。 すでに述べたとおり、本来、離婚については、裁判所が必ず何らかのかたちで関与し、子の親権を含む重要関係事項について最低限のチェックを行うのが適切であり、また、「現在ではそれが明らかな国際標準」なのである。日本の家裁、また関連制度も、この方向に進むべきだろう。そして、「少なくとも、当事者に離婚後共同親権の希望がある事案についてだけは、必ず裁判所等が離婚に関与する制度」の構築は、そのための望ましい第一歩となったはずである。
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