「伝え続ける」決意新た 被団協にノーベル平和賞 4歳で被爆、金沢の西本さん涙
●「目の前の人助け求めている」被災と原爆重なる 「今までやってきたことがやっと認められた」。4歳の時に広島で被爆し、自らの体験を語り継ぐ活動を続けてきた西本多美子さん(83)=金沢市額谷3丁目=は11日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞の一報に涙ぐんだ。広島、長崎への原爆投下から79年がたち、被爆者の高齢化で記憶の継承が難しくなる中、西本さんは受賞を「『伝え続けろ』ということやね」と受け止め、活動を続ける決意を新たにした。 西本さんは1945(昭和20)年8月6日、爆心地から2・3キロ離れた広島の自宅で被爆した。すさまじい光の直後、家は真っ暗になり、頭上から瓦が落ちてきた。 爆心地と自宅の間に山があったおかげで爆風が弱まり、5人きょうだいと両親は全員、原爆から生き延びた。家の外ではうつろな目をした男性が道ばたに座り込んでいたといい、「あの目が今でも忘れられない」と振り返る。 ●国内外で訴え 西本さんは転勤族の夫と結婚し、50年ほど前に金沢へ移り住んだ。家事や子育ての傍ら、被団協の構成団体である石川県原爆被災者友の会で事務局長や会長を務め、国内外での講演や署名活動を通じて核廃絶を訴えてきた。 さらに、自身の被爆体験を手記にして希望者に配ったり、紙芝居を作って地域で披露したりとさまざまな取り組みを行い、語り部としても積極的に活動した。 ●被団協との連絡係 しかし、かつて県内に240人いた被爆者は徐々に亡くなっていき、現在では40人ほどに減少。友の会は2022年、活動継続が難しくなったことから解散したが、西本さんは被団協の事務連絡係を続けていた。 原爆投下直後、「避難した押し入れから出ると家の中ががれきの山だった」という西本さん。その光景は能登半島地震や豪雨の被災地に重なっており、「目の前にいる人が助けを求めている」と復旧・復興の加速を強く願う。 世界を見渡せば、ロシアによるウクライナ侵攻は続き、北朝鮮によるミサイル発射の脅威もある。西本さんは「核を軽く考えている」と憤りをあらわにし、「もう遠出をするのは難しいけど、二度と悲劇が繰り返されないよう、自分の体験を語り続けたい」と話した。