定岡正二・篠塚和典・川口和久の深掘りトーク! お題「藤田元司監督の思い出」【昭和ドロップ】
今回は長嶋茂雄監督、王貞治監督のあと2度、ジャイアンツの監督となった藤田元司氏の思い出だ。長嶋監督退任後に就いた1981年は大バッシングもあったが、見事1年目からリーグ優勝、日本一に輝いた名将だ。 構成=井口英規 ──今回の第3弾は(取材の3回目)、川口さんには休憩していただくことになりそうです。 川口 なんで? 何か冷たいな。俺は元気いっぱいだよ(笑)。 ──定岡さん、篠塚さんにとって二番目の監督となる藤田元司さん(故人)について聞こうと思いまして。 川口 なるほどね。だったら仕方がない。俺がインタビュアーになるよ。 ──ありがとうございます! では、こちらが休憩します(笑)。 定岡 いい質問を頼むよ。忘れてることも多いけどね。 川口 俺のカープ入団年でもあったんですが、藤田さんの1期目は長嶋(長嶋茂雄)さんの監督退任後(1981年)でしたよね。それまでの印象は。 定岡 NHKの解説者をやられていて、もちろん、ジャイアンツの大先輩だし、素晴らしい投手だったことは知っていた。球場に来られたとき、あいさつはしていたよ。でも、年齢も離れているし、じっくり話をしたことはなかったな(就任1年目、定岡氏25歳、長嶋監督は45歳、藤田監督は50歳)。 川口 長嶋さんが辞められたことのショックはありませんでしたか。俺はドラフトの前だったけど、びっくりした記憶があります。 定岡 あったに決まってるよ! あのときは藤田さんがどうこうじゃなく、長嶋さんが辞められた時点で、「え~!」というのが正直な気持ちだった。やっと先発に定着し、これから少しは監督に恩返しができるかな、と思っていたからね。それに、あのころの僕は、監督と言えば、長嶋監督とイコールだった。その人が監督じゃなくなり、違う人が来ることへの戸惑いはあったね。あとは、藤田さんが、どんな人なんだろうという不安もあった。 篠塚 ウワサはいろいろと聞いていましたよね。 定岡 そうそう、出身の四国では硬派で知られ、ヤクザ10人相手に立ち回ったっていう伝説があるとか(笑)。ほんとかよ、と思うような情報がいろいろ出回っていたね。 ──実際、高校時代の武勇伝は、すごかったようです(笑)。 定岡 でも、最初は多摩川の練習でお会いしたんですが、就任のあいさつを聞いたとき、しゃべり方がすごく優しくてソフトな印象でしたね。 川口 シノさんはどうだったんですか。 篠塚 あのとき僕は、ミスターが辞めてしまったショックのほうが強かったな。伊東キャンプの後のシーズンで、自分自身、やっと「プロでやっていける」と思ったときだからね。 《※説明しよう! 1979年オフ、長嶋監督が静岡県伊東で若手選手を集め、超猛烈指導のキャンプ。そこで鍛えられた選手たちの活躍もあって80年は3位となったが、長嶋監督は同年限りで解任に近い退任となった。ただ、彼らは81年以降の主力として同年の優勝、日本一にも貢献している》 川口 藤田さんから怖さみたいなものは感じましたか。 篠塚 それはなかった。ものすごく温厚で、しゃべりもソフトだったしね。ただ、藤田さんと一緒にやったことがある人からは、「瞬間湯沸かし器のようにカーッとなるときもあるぞ」って警告されたけどね。 定岡 そうそう、瞬間湯沸かし器って言ってたね。だから逆に、藤田監督はああいうふうに優しく見えても、ハードな面もあるんだなと思ってた。 川口 でも、この言葉も昭和ですよね。今じゃすぐお湯が出てきても当たり前だし(笑)。 篠塚 ただ、めちゃくちゃ怒ったとかそういうことは記憶にないね。俺自身は怒られたこともないし。 定岡 それはシノが優等生だからだよ(神妙な顔で)。 篠塚 ああ、そう言えば・・・
本文:5,389文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール