だから「懲役4年の実刑判決」でもトップ当選できた…田中角栄が落選した野党議員に続けた"絶妙な気配り"
なぜ田名角栄元首相は選挙で圧勝し続けることができたのか。政治評論家の小林吉弥さんは「田中氏は身内の裏切者や、対立していた野党候補にまで気くばりを欠かさなかった。だから、ロッキード事件で逮捕され、有罪判決を受けたあとの選挙でも2位以下の候補者と圧倒的な差をつけて当選することができた」という――。(第1回) 【写真】「角福戦争」は多額のカネが飛び交ったと言われていたが、その実態は… ※本稿は、小林吉弥『田中角栄 気くばりのすすめ』(ビジネス社)の一部を再編集したものです。 ■“けじめ”に厳しかった田中角栄 田中角栄は、公私のけじめには厳しい部分があった。 人間はしかるべきポストに就き、いささか権力的立場に立つと甘えが出、残念ながらまたワガママも出る。そうした人物は、それだけのポストに就いたのだからある程度の能力、分別も当然ある。しかし、しょせん人間は弱い。人の眉を曇らせることをやらかす場合も少なくない。 とはいえ、人間は弱いものだと甘えているようでは、組織の中で強い指導力を発揮することなどはしょせん無理と思いたい。まさに、「上、下を知るのに3年」かかるのに対し、「下、上を知るのはたった3日」で、部下は「公私」のけじめのつかぬ上司を早々に見抜いてしまうのが常である。 そこから、例えば組織の緩みが出、いざというときの組織の結束力の弱さにつながるということである。 昭和47年の自民党総裁選。ご案内のように田中、福田の「角福戦争」を経て田中が制しているが、互いの多数派工作は熾烈(しれつ)であった。1票でも負けは負けであることから、自陣への抱き込みのための実弾(カネ)も、相当に飛び交ったともはやしたてられた。 しかし、実際は世間で言われたほど、必ずしも目が飛び出るような金権選挙とは言えなかったようだ。 「とりわけ、田中がカネで票を買ったように伝えられたが、対立陣営からのやっかみ部分が多かった。むしろ、田中陣営はポストの“約束手形”を多々切っていた。つまり、田中陣営には初めから勝てるとの余裕があったということだ」 とは、当時の田中を推した大平派の議員の証言である。