名門・清水はなぜJ1降格の危機に陥ったのか。
対照的に補強は、武者修行させていた若手やゴトビ体制下で干されていた中堅を、期限付き移籍から復帰させる作業がメインとなった。元マリノス社長の肩書をもつ左伴繁雄氏が新社長に就任したのは2月1日。消極的だった選手補強を活性化させると明言したが、国内の移籍市場はすでに落ち着いていた。 原靖強化部長と話し合いの場をもった大榎監督は、チーム得点王ノヴァコヴィッチの穴を埋める外国人FWの獲得を最優先させる。開幕直前になって、ナイジェリア代表歴をもつピーター・ウタカが北京国安(中国)から完全移籍で加入した。 デンマークリーグで得点王を獲得した実績をもつウタカは、9ゴールとまずまずの結果を残している。しかし、手つかずのままファーストステージ開幕を迎えた守備組織がすぐに破綻をきたしてしまう。 第3節から泥沼の5連敗。大榎監督は身長180cm以上のセンターバックを4枚並べる最終ラインを組んできたが、非常事態を受けて3バックに変更する。それでも3試合連続ドローと白星をつかめない。 たとえば大量3点のリードを残り5分で追いつかれ、引き分けた4月29日のモンテディオ山形戦は、チームから守備の戦術が失われていたことを如実に物語っていた。 特に1点を返された直後にFWの選手を投入。さらに相手の反撃を許した采配からは、個の力で組織を凌駕してきたサッカー王国・静岡の理想と伝統を追い求めすぎるあまり、現実を見失っていた大榎監督の迷走ぶりが伝わってくる。 ファーストステージは3勝4分け10敗の最下位。32失点はワースト2位タイを数えた。中盤以降の戦いで、キャプテンのボランチ本田拓也をけがで欠いたことも響いた。 オフの契約更改の席で、本田は選手でただ一人、原強化部長に対して「このチームはどこを目指しているんですか」と問いただしている。細部にまで徹底しないと絶対に勝てないと、誰よりも危機感を募らせていた精神的支柱の不在が低迷に拍車をかけた。 昨シーズンの終了後、遅くとも5連敗を喫した今年4月下旬の段階でレジェンドという肩書にとらわれることなく、大榎体制に対してシビアな決断を下していれば違った展開となっていたかもしれない。 結局、大榎監督が辞任を申し出たのが8月1日。バトンを託された大分トリニータ前監督の田坂和昭監督はハードワークを掲げ、川崎フロンターレから期限付き移籍で加入した32歳のDF角田誠を軸に守備組織の再構築に取り組んできた。しかし、時すでに遅し。大きく狂った歯車は元には戻らない。 田坂体制下で戦った8試合は3分け5敗。たとえ17日の仙台戦で引き分けたとしても、新潟が勝てば終戦を迎える。苦境に拍車をかけるように、セカンドステージからウタカとコンビを組む元北朝鮮代表FW鄭大世が累積警告で出場できない。 ゴトビ元監督時代から先送りにされてきた「負のツケ」は、大榎前監督に率いられた1年間で回収不能な規模にまで膨らみ、初めてのJ2降格という非情な現実を清水に突きつけようとしている。 (文責・藤江直人/スポーツライター)