もったいなくて乗れなかったマイカー【1】「当時、クルマといえばトヨタか日産でした。私は日産が好きだったので、ブルーバードを買いました」
シリーズ:もったいなくて乗れなかったマイカー【1】1964年式 ダットサン ブルーバード 1200 【画像17枚】1964年、自動車整備工場を始めてコツコツ貯めたお金で手に入れた1台とオーナー。シンプルなエンジンルームゆえに410ブルーバードは故障が少ないという。壊れやすい部品は汎用品と交換している 世界標準をうたい410ブルーバードが登場したのは1963年のこと。先代312ブルーバードの面影を残しつつも、より先鋭なボディシェイプをまとって、時代の勢いに後押しされるように誕生したのが410ブルーバードだった。 カタログひとつとってみても、時代の移り変わりが読み取れる。イラストが多用されていたそれまでのカタログに取って代わり、410ブルーバードから女性モデルの写真を多用し、華やかな演出が目立っている。カタログにポストカードやクルマのイメージソングが収められたソノシートが付いたのは、まさにこの410ブルーバードであった。 そんな時代の変革期、経済成長の足音が次第に大きくなった頃、オーナーは小さな自動車整備工場を始めた。 今では、雪解け水で満たされた天竜川を抱くアルプス山脈の雄大な山並みを眺める地で広々とした工場を営んでいるが、そのスタートは険しいものだったという。 そもそも、オーナーが少年の頃、クルマは縁遠い存在であった。しかし、就職を前にして、手に職をつけなければならないと、当時、市民生活へ浸透し始めたクルマの世界へ足を踏み入れたのが始まりだった。当初は勤め人として、自動車整備工場へ入り、整備技術を身に付けていった。しかし、ほどなくこの工場を飛び出し、自身の行く先を案じることに。 悩むオーナーを見た兄から「使われるより、自分でやらなければ」と言葉を掛けられ、オーナーの気持ちは固まる。そして、兄の手助けもあり、小さな自動車整備工場を始めることになったのだ。 スレートで畑の中に建てた小さな工場。クルマ1台入ればいっぱいになってしまうような環境で、ひたすら働き続けた。助言してくれた兄も、自身の仕事を終えてから、小さな自動車整備工場へ来て、遅くまで作業を手伝ってくれたという。 オーナーいわく「一握りの財」しかなかった状況で思い切ってスタートした工場には、高度経済成長のあおりを受けてクルマは次から次へとやってきた。 がむしゃらに働くオーナーは、酒、タバコなど一切やらずに、コツコツとお金を貯めていった。勤め人として働いているときから、この性格は変わらず、工場はまだ小さかったが、この410ブルーバードを手に入れることができたという。 「当時、クルマといえばトヨタか日産でした。私は日産が好きだったので、ブルーバードを買いました」とオーナー。 当時のトヨタといえばカローラの66年発売以前の事で、オーナーがクルマを購入しようとした64年時点では2代目コロナがライバル車種として挙がる。そしてオーナーはブルーバードを選んだのだ。 初出:ノスタルジックヒーロー 2008年 08月号 vol.128 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部
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