本格焼酎から霜降り肉まで!“麹”の力で日本の食文化を支える老舗メーカーの挑戦
4代目は元心臓外科医~「宝の山」を見つけ出す!
山元は親子3代で受け継いできた河内菌というバトンを次の世代に渡そうとしている。 託すのは息子の文晴(44)。慈恵医大を卒業し、6年前までは心臓外科医だった異色の経歴を持つ。なぜ後を継ぐことにしたのか? 「生活の安定では医者の方がよかったと思いますが、今の方が楽しいんです。未知だから面白いですよね」(文晴) 医者は目の前の患者だけだが麹は万人を救えると、決心したと言う。特に注目しているのが、父親が作った茶麹だ。 「茶麹にするとできて、米麹にはない成分をピックアップすると、4つの成分がヒットした」(文晴) 茶麹が出す成分を分析し、その中に炎症を抑える働きを持つ成分を見つけたという。そこで茶麹の抽出液から作ってみたのが傷薬だ。
東京医大と共同で実験も行った。マウスの傷口に茶麹の傷薬を塗り、自然治癒と比べてみた。7日後、自然治癒に任せた方はまだ傷口が開いているが、茶麹を塗ったほうは塞がっていた。 「僕にできることは医療分野への展開なので、可能性を模索する。10年以上の開発期間になると思います」(文晴) ※価格は放送時の金額です。 ~村上龍の編集後記~ 焼酎の廃液が海洋投棄されることが問題になった。さまざまな方法を試したが、最後にたどり着いたのは麹。麹の発酵熱で廃液を乾燥し、飼料化することに成功した。この飼料は家畜の毛並みをよくし、肉質も味もいい。ということを山元さんが話したとき、「だったらもっと儲けが出ないと」と言いそうになったが、なぜか言えなかった。それは金儲けとは別の道を歩んできて、今も歩んでいるからだ。社名の河内源一郎は泡盛に使われていた黒麹から焼酎に適した泡盛黒麹菌の培養に成功した初代の名前。「麹の神様」と呼ばれている。 <出演者略歴> 山元正博(やまもと・まさひろ)1950年、鹿児島県生まれ。1977年、東京大学大学院修了後、河内源一郎商店に入社。1988年、錦灘酒造(現きりしま高原ビール)社長に就任。2013年、河内源一郎商店会長就任。 ※「カンブリア宮殿」より
テレビ東京