沖縄からふるさと福島へ 元自衛官たちの支援
沖縄の人を福島に連れて行く
鈴木さんは震災当初から福島と交流を続けている。 福島へのツアーも企画した。「実際に現地で見ると、安全な場所もある。『ここが安全で、ここは入れないのか』と自分の目で見て判断ができる」と考えたからだ。 「沖縄の人を福島に連れて行って、福島を見てもらう。原発でえらい目に遭っている。お互いが共通理解を持たなければ」
震災の年の10月からはヒマワリを通じた交流も始めた。福島第一原発が事故を起こした後、福島県内の各所に「放射性物質を吸ってくれる」とヒマワリが植えられた。のちに効果がないことが分かり、ヒマワリの扱いに困っていることを聞いて「沖縄で引き取ろう」と決めた。 福島で咲いたヒマワリの種を取り、沖縄で咲かせる。種を取って送り返し、また福島でヒマワリが咲く。二つの地でヒマワリを咲かせ、互いの地を想像しよう、と。 2017年2月には福島県大熊町の住民らが沖縄県北中城村のヒマワリ畑を見に訪れ、沖縄の人たちと交流した。 ことしは糸満市摩文仁の平和祈念公園にも福島のヒマワリが咲く。種を植えたのは沖縄の保育園児たち。「将来は子ども同士がヒマワリを育てて、交流が続いてほしい」と鈴木さんは言う。約7千本が咲き並び、3月10日からヒマワリ畑の迷路が来場者を楽しませる予定だ。 「福島の人を呼んで、沖縄の現状を見せて帰ってもらうのも一つの例なんだよ。逆に沖縄の人も福島に連れて行って、原発の被害を見てもらう。お互いがお互いに共通理解を持つのが大切だと思う」と鈴木さん。 現地でないと分からないことは多い。 「大臣やいろんな人が視察に来ても、その時だけ(米軍の)飛行機が飛ばない。静かなのは当たり前だろ。ここに住んでみろ。ここで体験しろ」 「福島は安全だよ、って見せて、沖縄も見せていきたい」 福島との交流を次の世代にも引き継ぎたい、と語る。
この記事は、復興庁の「新しい東北」情報発信事業として、日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)が実施した東北ローカルジャーナリスト育成事業の受講者による作品です。執筆:大橋弘基
大橋弘基