葬式なのに「作業着やジーンズ姿の男たち」…伝説のストリッパー・一条さゆりの”死”が引き起こした「異様な光景」
与えることを考え続けた
一条の遺骨は南溟寺に預骨された。 骨の入った約20センチ立法の箱は白いさらしでくるまれ、本堂にある御本尊の後ろに置かれた。一条がこの6年前、自分の人生について講演し、みんなと一緒におでんを食べた本堂である。 一条の死から約1ヵ月後、英国のダイアナ元皇太子妃(8月31日)が事故死したのに続き、マザー・テレサ(9月5日)が亡くなった。 このカトリック修道女が重体になったと知ったとき、一条はこう語っていた。 「元気だったら、私も困っている人に食事作ったりしたいなと思うんです」 思えば、サービス精神の固まりのような女性だった。与えられるより、与えることを考え続けた人だった。戦後日本の男性たちは彼女から、どれだけ楽しみや生きる勇気をもらったことだろう。
一条さゆりの姉たち
一条の姉2人が南溟寺を訪ねたのは葬儀から2ヵ月後の10月7日である。稲垣が「骨を取りにきてやってほしい」と伝えたためだ。釜ケ崎に近い地下鉄動物園前駅で稲垣と姉は落ち合い、車で南溟寺に向かった。姉たちは言った。 「いろいろありましてね。あの子には迷惑かけられました」 2人の姉にとって彼女は「和子」でしかない。彼女たちは、一条さゆりとは無縁である。 南溟寺に着いた姉は本堂で、戸次の読経を聴きながら手を合わせ、「一条」を受け取った。 姉のひざに抱かれた「一条」は、新幹線ひかり252号で住み慣れた大阪を離れ、古里・川口に向かった。 『「下手くそ!」舞台上の女優に浴びせられた「罵声」…超えられない“釜ヶ崎”の「伝説の踊り子」』へ続く
小倉 孝保(ノンフィクション作家)