アルファ ロメオ「1750 GTAmレプリカ」で第3京浜を爆走! がんばっても200キロには届かず、エキゾーストサウンドに酔いしれるのみ【クルマ昔噺】
当時も今もアルファ4気筒サウンドは格別だった
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。今回はアルファ ロメオ「1750 GTAmレプリカ」に乗って第3京浜を爆走した話を振り返ってもらいます。 【画像】ワイドボディがカッコいい! アルファ ロメオ「1750 GTAmレプリカ」を見る(全5枚)
ETCCで抜群の強さを発揮したアルファ ロメオ
ETCCと呼ばれるレースがあった。ヨーロピアン・ツーリング・カー・チャンピオンシップの略である。1963年に始まったこのレースは種々雑多のツーリングカーのFIAグループ2のレギュレーションに準拠したマシンによって争われたもので、下はフィアット「600」あたりから上はメルセデス・ベンツ「300SE」やジャガー「Mk.2」 などが競っていた。 最初の2年はごちゃ混ぜのレースが行われたようで初年度は排気量の大きなジャガーMk.2がチャンピオンになった。1965年になると排気量別にディビジョンが分けられ、ディビジョン1~ディビジョン3までのカテゴリーで争われたようである。 そしてこのETCCにおいて抜群の強さを発揮したのがアルファ ロメオであった。当時まだレース参戦に意欲を見せていたアルファ ロメオは、1962年に誕生した「ジュリア」をベースに強化し軽量化したモデルを作り上げた。それが「GTA」である。
レースを目的にアップデートされた
イタリア語で軽量化を意味するAlleggerita(アレジェリータ)のAを末尾に持つモデルだ。ボディはスチールからアルミへ変更。ホイールはマグネシウム製。そしてウインドウは可能な限りプレキシグラスを採用して軽量化を図った結果、1.6Lエンジンでわずか740kgにまで車重を落としていた。 エンジンの方も気筒あたり2本のプラグを装備するツインスパークとなり、キャブレターはウェーバーの40DCOEキャブから45DCOEに変更され、オリジナルの106psからなんと170psにまで引き上げられていたのだ。そして前述したようにETCCではディビジョン2カテゴリーで1966年、1967年、そして1968年と3年連続のチャンピオンに輝いた。 1970年になると、レギュレーションが変更され、それまで年間500台の生産が義務付けられていた生産台数の縛りが変更されて、年間1000台以上生産されているクルマには公認パーツが後付けできることとなった。 アウトデルタはGTAのアップデートに取り掛かり、エンジンはアメリカ輸出仕様の「1750 GT」の排気量を1985ccにまで拡大。そしてアメリカ仕様の特徴であったスピカ製の機械式燃料噴射を取り付けた仕様に変更。最終的に出力は240psにまで引き上げられていた。 そして何よりもGTAmのボディはワイドフェンダーがリベット留めされた派手な出で立ちとなっていたのが特徴だった。アウトデルタが公式に作ったとされるGTAmは40台ほどだそうだが、特別なシャシーナンバーが与えられていたわけではないので、真贋の特定は難しいらしい。今も多くのレプリカが作られているようだ。
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