16歳で子供を産めない体に…「人生は戻ってこない」 旧優生保護法訴訟 最高裁で3日判決へ
気づいても変われない社会
かつて仙台市内にあった知的障がい児の施設で働いていた三宅光一さんも、旧優生保護法は当時の社会に受け入れられていた考え方だったと話す。三宅さんが反対の意思を示しても「彼女たちの幸せのためだからこれでいいんだ」と説得されたという。 時代が進み価値観が変わる中で、疑問の声は少しずつ上がってきた。だが、法律で認められた行為ということもあり、変化は少しずつしか進まなかった。 1990年に人権擁護団体が青森県に送った「強制不妊手術に関する質問書」への問い合わせに対し、当時の厚生省は「一切無視する方が良い。厚生省もその方法を取っている」と文書で伝えるなど、疑問の声は放置され続けた。
被害の訴え ようやく司法の場へ
飯塚さんは旧優生保護法が改正された翌年(1997年)から被害を訴えてきたが、宮城県が手術記録をすでに焼却処分していたため、その時点で提訴はできなかった。だが、飯塚さんの叫びは、誰もが目を背けていた現実に、社会が気づくきっかけを与えていく。 2018年、飯塚さんの活動を知った宮城県内に住む佐藤由美さん(仮名・60代)が仙台地裁に全国初の国家賠償訴訟を起こした。佐藤さんは1歳の時に口蓋裂の手術を受けた際の麻酔の後遺症で、重度の知的障がいが残った。障がいが遺伝性のものではないことは明白だったが、15歳の時に「遺伝性精神薄弱」を理由に不妊手術を強制された。被害を訴え続ける飯塚さんを報道で知った佐藤さんの義理の姉が弁護士に相談。手術記録も見つかったため、訴えを起こすことができたという。 佐藤さんの提訴の後、宮城県は手術記録が残っていない人でも、一定の条件を満たせば手術を受けたと認める方針に変更。飯塚さんも裁判に加わることができた。
立ちはだかる「時の壁」
2019年5月、仙台地裁は旧優生保護法を「違憲」と判断したものの、国への賠償請求は棄却する判決を言い渡した。立ちはだかったのは「時の壁」だ。民法では、不法行為から20年が経過すると損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」という規定がある。間違いは認めるが、責任は問えない。原告側は判決を不服として控訴したが、高裁判決も同様の判断となった。 一方で、飯塚さんたちが起こした一連の訴訟は全国へと広がり、仙台高裁以外では国の賠償責任を認める原告側勝訴の判決が相次いだ。 原告側が勝訴した4件については国側が上告し、原告側が敗訴した仙台訴訟は原告側が上告。5件の上告審について、最高裁判所は「統一判断」として判決を言い渡すことにした。
「人生は戻ってこない」
最高裁判決を前に、飯塚さんは「とにかくいい判決であってほしい。それだけ」と繰り返した。同時に虚しさも感じていた。 「どんな判決が出たからと言って人生は戻ってこない。悩みは死ぬまで消えない」 「旧優生保護法」によって、母になるというささやかな夢を奪われた飯塚さん。最近は視力も落ち、足がふらつくこともある。これ以上の時間はかけられない。全国の被害者が共通して抱く思いだ。最高裁の判決は7月3日午後3時に言い渡される。
仙台放送