FIFA汚職、イタリアは02年W杯を蒸し返す?
「PKだ!」 正確なトラップから反転した背番号10がペナルティーエリアで倒され、ホイッスルが鳴り響いた瞬間、誰もがそう思った。だが、駆け寄った主審はペナルティースポットを指差すのではなく、イエローカードを掲げる。あ然としたフランチェスコ・トッティは、仲間たちの激しい抗議もむなしく、ピッチを去ることになった。2002年6月18日。日韓W杯決勝トーナメント1回戦で、イタリアはホームの韓国に敗れた。ラフプレーと言われてもおかしくない数々の激しいチャージを見過ごし、トッティをピッチから追いやり、ゴールデンゴールとなるはずだったダミアーノ・トンマージの得点をオフサイドで取り消したバイロン・モレノ主審の名前を、イタリアのサッカーファンが忘れることはないだろう。
FIFAスキャンダル発覚で揺り起こされた13年前の記憶
それから13年が経ち、2015年5月29日。イタリアの有力紙『コッリエレ・デッロ・スポルト』の一面に、13年前の試合でモレノ主審に詰め寄るクリスティアン・ヴィエリとアンジェロ・ディ・リーヴィオの写真が掲げられた。 見出しで「ヤツらはW杯を操っている!」と記した同紙は、さらに「モレノ主審を覚えているか? 02年の韓国びいきへの疑念は裏付けられた」と続けた。件の試合が八百長だったと主張したのだ。FIFAの幹部が汚職で逮捕された2日後のことだった。 『コッリエレ』紙は紙面記事で「02年W杯でも贈収賄があったと判明するかもしれない」と報じ、当時のイタリア代表チームの派遣団長だったラッファエレ・ラヌッチ氏のコメントを紹介している。 「すぐに『ペテンだ』と言ったのは、私だけだった。今回の(FIFAに対する)捜査は、我々の疑念が事実だったことを示している。テレビ放映やスポンサー…ある国でW杯が開催されれば、ホスト国のチームが成功し、勝ち進むことに関心が持たれるのは確かなことだ」。 この記事は、すぐにアジアにも伝わった。当事者である韓国のメディアはもちろん、02年W杯にさまざまな想いを持つ日本の一部メディアも、『コッリエレ』紙の記事を概要で報じた。これを受け、サッカーファンの中には「やっぱり不正があった」との声も上がっている。