「いちばん辛い言葉は『いい旦那さんだったのにね』でした」自死遺族・乳がんサバイバーの彼女が立ち直れた「きっかけ」
夫も、家族も、全員が本当に全力の限界だった。夫がこの世を去っていった
そうこうするうち、上の息子さん中2のころから反抗期が始まります。すさまじいと言うべき反抗期だったと三井さんは振り返ります。 「夫に向かって、『なんで働かないんだよ、あんたがしっかり働かないからうちの生活レベルが低いんだよ』と言ったことがありました。慌てて『お父さんだってなりたくて病気になったわけじゃないから!』と叱りましたが、正直言って息子が生まれて以来、夫は闘病していない瞬間がなかった。もちろん夫本人がいちばんつらいのですが、ずっと働けない夫を見ている家族もつらいのです。精神障害はよほどの重症でない限り社会的支援がほぼ何もなく、経済的不安もとても大きい。私だって不安でおかしくなりそうで、解放されたいという思いも芽生えていましたから、思春期の子どもたちはなおさらでしょう。そうした思いがつのっての長男の反抗だったと思います。壁はそこらじゅう穴が開き、大声で怒鳴って裸足で飛び出して実家へ走っていったり。学校では勉強もできて生徒会活動もこなす優等生なのに、家での荒れ方がすさまじかった」 とにかく一緒に住んでいるとぶつかることばかりで、それを見ているしかなかった下の娘さんにはもっと強いストレスがかかっていただろう、だから娘はとても聞き分けのいい子だったと三井さんは振り返ります。 「そうこうするうち、私が43歳、息子が高1になったころに、夫は体がねじれてしまうジストニアという病気を発症しました。首の筋肉の硬直まで現れたためボトックスを打ったのですが、その副作用で嚥下困難になり、脱水防止のため点滴治療でしのぐような状態に。でも、総合病院では急性期以降の治療を拒否され、精神科に行きなさいと冷たくあしらわれるばかり。やむを得ず精神科病棟に入院したことで夫のメンタルはさらに落ち込んでしまいました。心の休まることのない日々に私も限界を迎えていて、1か月で夫が退院してくるタイミングで『私の人生はあなたの闘病で終わるのか、いいかげん解放してください』という話までしてしまいました」 ご主人は障害年金2級の申請に一度は通ったものの、仕事ができているという判断で却下になっています。ジストニアも難病指定の先天性ではなく薬剤性と診断を受けたため、公的支援を受けることができませんでした。家族全員が精神的に限界を迎えつつある中、ご主人が退院してきます。翌日、日曜の雪の予報を前に、車のタイヤをスタッドレスに交換してくれたそうです。 「身体もつらいだろうに、いま思えばやれることだけはやろうと思ったのかもしれませんね。そのあともきっと朝まで眠れず、苦しい気持ちと戦ったのでしょう。そしてなかばパニックになって家を飛び出したのだろうと思います。日曜の朝、起きたら夫は家にいませんでした」 リビングのカーテンレールが折れているのを見た三井さんは、かつて自分の祖父に起きたことを思い出します。 「ああっ、と思ってすぐ近所にある夫の実家に電話をかけ、夫がいない、もしかしてそっちに行ったかもと伝えると、探してくると切れました。すぐに折り返しの電話がきました。農作業小屋にいたが、もう冷たくなってると。すぐ駆けつけましたが、すでに遺体はおろしてありました。蘇生をがんばりましたが無理でしたと。途中からずっと現実感がなく、なんでこんなことになるんだ、なんで、いったい私っていまどういう立場なの、なんで気づかなかったんだろうと、自分の体と心と現実が乖離したような、膜がかかった中に自分の意識がぽつりと浮いているような感覚でした」 誰かが命を自ら断ったあとには、本当にいろんな感情が押し寄せてくるのですね、と三井さん。支えてくれた人たちに申し訳ないという気持ち、解放されたがっていた自分の気持ち、またそう思ってしまった自分を責める気持ち。 「葬儀のときいちばん辛かった言葉が『いい旦那さんだったのにね』でした。優しい旦那さんだったのに残念ねと言われたとき、私のせいでそんないい旦那さんが死んじゃったのかと。みんな遺体の前で泣くのをやめてって大声で泣きわめきたかった。母親もたつじくん、たつじくんとずっと名を呼んでいる、本当に優しい子だったのにと泣いている。もう正直頼むからやめてほしい、私はここで表情もなく泣きもせずぼーっと座っているけれど、苦しくて苦しくて仕方ないのだ、ただ現実に心がうまく追いつかないのだ、そう叫びだしたくなる気持ちで聞いていました」 しかし、三井さんが「限界を迎えた」ことには理由がありました。実は三井さん自身も乳がんに罹患し、支えるもののない中でも強烈なグリーフに折り合いをつけながら闘病している最中だったのです。 前編記事では三井さんが2度に渡り大切な家族の自死を体験した経緯を伺いました。後編記事では三井さんご自身の身に起きたことと、現在までの心の変遷、そして取り組み続けている活動について伺います。
オトナサローネ編集部 井一美穂