「今、死ねたら楽にと思った」松本サリン事件で“犯人視”される報道 河野義行さんが苦悩語る「世間では殺人犯」 マスコミに訴え「速報性より正確さを」事件から30年
30年前、8人が死亡した「松本サリン事件」の第一通報者である河野義行さんが、11月24日、長野県箕輪町で講演しました。事件当初、容疑者扱いを受けた経験を踏まえ、「マスコミは速報性より正確さが大事」などと語りました。 【画像】当時、河野義行さんを乗せた車にマスコミが殺到 記者会見の様子 松本サリン事件 第一通報者・河野義行さん: 「メディアにとって、一番大事なものは何か、それは誰よりも早く、その情報を報道する。あるいは記事に書いて、速報性ですね。1番でなきゃいけないという価値観が非常に強いですね。しかし、報道は2番だって、3番だって、いいじゃないですか。それが正しくきちっと伝わる、伝えていく方が、私は大事だと思うんですね」 「松本サリン事件」の第一通報者である河野義行さん(74)。 11月24日、箕輪町で「報道と人権」について講演し、自身の体験や当時の苦悩を語りました。 1994年6月に松本市北深志で起きた「松本サリン事件」。 化学兵器にも使われる「サリン」が住宅街にまかれ、8人が死亡、約600人が重軽症を負いました。 その後の捜査で、事件はオウム真理教による犯行と判明しました。 事件によって、妻が心肺停止となり、自身や子どもたちも入院するなど被害者でもあった河野さん。 しかし、自宅に警察の家宅捜索が入ったことをきっかけに、マスコミから犯人視される報道が相次ぎました。 河野義行さん: 「結果的には松本サリン事件はオウム真理教の犯行であるということが分かるのが約1年間ですね。私は本当に厳しい状態で生活していたわけです。当時うち(家族)は5人、妻そして子供が高2、高1、中3、年ごろの時期だったわけですが、そんな中で突然事件が起こって妻は心肺停止、意識不明、結果的に13年間意識が戻ることなく亡くなったわけですが、そして私も心肺停止、重症、そして長女ももう死ぬかと思った。そういう状況の中で親父は殺人犯、世間からそういうふうに思われてしまうそんな状況なんです。で、マスコミはこの男がやったらしい、こいつが犯人じゃないかという印象なんですね」
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