【サッカー】「『颯太がいなきゃ』と思われる存在に」パリへ導くゴールに期待!川崎颯太“成長の原点”は『15歳の決断』 U‐23日本代表きょう(16日)中国戦【五輪アジア最終予選】
サッカーを始めた当時は「ゴールにぶら下がっているだけ」 父が語る幼少時代
山梨県で生まれ育った川崎選手。取材班が甲府市の実家を訪れると、両親と愛犬が出迎えてくれました。川崎選手がサッカーを始めたのは幼稚園のころ。当時の印象は? (川崎颯太選手の父・由太さん)「みんなと反対方向を向いて、ゴールにぶら下がっているだけで練習していないんですよ。この子はサッカーに向いていないのかなと思って、その時に(笑)」 しかしその後、サッカーにのめり込んだ川崎選手は、人一倍の負けん気で、人一倍の努力を重ね、頭角を表します。そんな川崎選手の姿を目の当たりにした両親は、こんな思いを持つようになりました。 (父・由太さん)「サッカーも一生懸命にやってもらいたいけど、それと同様に勉強も一生懸命にやってもらいたいという気持ちもありまして、数ある選択肢の中で、一番良いのが京都サンガだった」
15歳で単身京都へ 人生最初の大きな決断
京都サンガは、京セラ・立命館と手を組んで、勉強とサッカーの両立を目指す学生を支援しています。川崎選手は立命館の系列高校に通いながら京都サンガの下部組織に所属する決意をしました。15歳の川崎選手にとってそれは人生最初の大きな決断でした。その当時の思いを、自分自身に宛てた手紙に、こう綴っています。 『お前、京都に行くんだろ。今の俺は超怖い』 この手紙は、単身京都へ旅立つ自分を奮い立たせるために書かれました。 (父・由太さん)「卒業式が終わって(京都へ)行く何日か前に、急に、僕たちに話をしないで丸刈りにしてきたんですよ」 (母・亜矢子さん)「友達のお父さんの所に行って『丸刈りにしてくれ!』と言って、丸刈りにしてきました」 (父・由太さん)「だからよっぽど本人は強い覚悟をもっていったんだなと、今、改めて思います」
「恩返しのためにも、パリは絶対に行かなきゃ」
サッカーと勉強の二刀流を実現するために単身京都にやってきた15歳の決断が、川崎選手の成長の原点です。 (川崎颯太選手)「今まで積み上げてきた地位とかをなくして、全く俺のことを知らない京都に来てっていうのが、一番難しかったですし、逆にそこを乗り越えられたからこそ、今も乗り越えられていると思います」 川崎選手が日本を代表するサッカープレイヤーに成長できたのは“15歳の壁”を乗り越えた自信があったから。今年も2年連続でキャプテンを任される川崎選手。3月には大学も卒業し、また新たな一歩を踏み出します。 (川崎颯太選手)「本当に京都の人のいろんな支えがあって、ここまで来られたので、その人たちのために、恩返しのためにも、パリは絶対に行かなきゃなと思いますし、全ての試合で自分がチームの中心として、存在感を発揮して、チームを勝たせていければパリは見えてくると思うので、そこを自分に厳しく求めていきたいと思っています」 パリオリンピックイヤーの今年、得点力アップを課題に挙げていた川崎選手は、その人一倍の負けん気で、キャンプから自分を追い込み、さらなる進化を遂げました。3月2日、チームを今シーズン初勝利に導くゴールを挙げると、次の試合でも決め、2試合連続ゴール。アジア最終予選でも、チームをパリへ導くゴールが期待されます。 (川崎颯太選手)「『颯太がいなきゃ』というふうに思われる存在にならなければいけないと思っていて、『ピッチに颯太がいるだけで安心感が増す』とか、『チームにとって勢い増す』という存在になったら、チーム(日本代表)の中心としてやっていけるのかなと思います」 (2024年4月5日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より)