英国の歴史家が語る「米国人は、米国という『帝国』が中国に負けて衰退することに怯えている」
ローマ帝国やイスラム教の起源、キリスト教の影響力といったテーマでベストセラーを何冊も書いてきた英国のトム・ホランド。世界的な人気を誇る歴史家が、ローマ帝国に対する米国人の異様な関心の高さや、ドナルド・トランプとローマ皇帝の比較、イスラム世界と無神論について、フランスのニュース週刊誌「レクスプレス」に語った。 【第一回を読む】英歴史家「プーチンが歴史にこだわらなければ、世界はもっとよくなる」
「ローマ帝国」のモチーフに異様なこだわりを持つ米国
──2023年、上梓された『パクス──ローマ黄金期の戦争と平和』(未邦訳)は、あなたが書いたローマ帝国に関する本としては3冊目です。欧米人はなぜ、これほどまでローマの歴史が好きなのでしょうか。 フランスの歴史家のレミ・ブラッグは、西洋の本質とは、キリスト教になる前のローマ帝国に心が強く引かれるところだと指摘してみせました。 この指摘は、かなり当を得たものです。ヨーロッパは、かつてローマ帝国の西半分の領域に広がっています。だから、ヨーロッパの人は、どうしてもローマを意識してしまい、ローマを再建しようという大望がつきまとうのです。 わかりやすい例を挙げるならナポレオンですし、カール大帝も同じです。フランス革命のときも、画家のダヴィッドは、革命家たちを古代ローマ人に似せて描き、ナポレオンをローマ皇帝として描きました。 独立戦争の頃の米国でも、ローマのモチーフを使うことへの異様なこだわりがありました。ジョージ・ワシントンが、トーガをまとったローマ人として肖像画に描かれたりしています。米国の合衆国議会議事堂が「キャピトル」と呼ばれるのは、ローマのカピトリヌスの丘に由来しているわけですし、「セネート」と呼ばれる上院も、ローマの元老院セナートゥスに由来しています。 ただ、自分たちの国をローマになぞらえている場合、ローマを襲った二度の大災難、すなわち共和政の終焉と帝国崩壊という二度の大災難も、意識することになります。米国史を繙くと、建国当初から、自分たちがローマのように衰退するのではないかという不安にとりつかれているのがわかります。 先日の米国の大統領選挙でも、共和政が崩壊して、新しいローマ皇帝のもとで専制政治が始まるといった分析をする人が後を絶ちませんでした。 加えて米国人は、地政学の観点から見て、米国という帝国が、中国に対抗できずに衰退するのではないかという不安にもとりつかれています。同じような不安は、1980年代の日本に対しても抱いていました。このような不安の感じ方をするのは、米国以外ではあまりないのではないかと私は感じています。 中国は、ローマと同じ頃から帝国だった国であり、何度も蛮族の襲来を受けて占領されたところもローマと同じです。でも、中国は、蛮族を吸収し、その領土を取り返しています。だから、中国は「帝国はいつか必ず崩壊する運命にある」といった考え方をしません。一方、西洋人は、そういう考え方にとらわれているところがあります。 ──第5代ローマ皇帝のネロと、トランプを比較されていました。トランプはローマ皇帝として傑物になりえたのでしょうか。 ローマ皇帝の評価は、どんな政策を実施するかよりも、雰囲気やイメージといったもので決まっていました。皇帝としてどんな立ち居振る舞いをするのかといったことのほうが、実際にしたことよりも、世論にとっては重要だったわけです。 ちなみに、古代ローマで名を遂げる方法は二つありました。一つは、勅法の伝統に連なる伝統主義の立場を貫くやり方です。もう一つは、人民に呼びかけてエリートと闘い、人民とともに快楽を分かち合うものです。これはロベスピエールのような権力を握ってもつましい生活を続けるのではなく、権力を握ったら平民が夢見る生活を送る指導者です。 トランプは、自分のゴルフ場を持ち、高層ビルに自分の名前を冠するような人柄です。昔ながらのエリートたちは、トランプのそういったところにショックを受けます。 しかし、そういった生き方をするトランプに拍手喝采を送る米国民も一部にはいるわけです。自分が皇帝になったら、同じような生き方をしたいと思っている人たちです。 これがトランプの成功を読み解くうえでの重要な鍵となります。優れた政策の実施に価値を置くエリート層が、トランプの人気を理解するのに手間取るのは、そのあたりに理由があります。
Thomas Mahler