もはや寝台? “めっちゃ倒れる”列車の座席 どんな時代も登場し続けた豪華車両の数々
最初はロングシート
鉄道が日本で初めて開業したのは、1872(明治4)年のこと。客車設備は上等・中等・下等に分かれていました。150年あまりのあいだに、通勤電車からクルーズトレインまで様々な車両が登場していますが、豪華な設備はどう変化しているでしょうか。 おぉ、これが…! 最新の豪華車両を見る(写真) 当初、上等は肘掛けを備えたクッション付き座席、中等車は布張りの座席で、どちらもロングシートでした。一方の下等は、背もたれが幅の広い平角板でクロスシートでした。 イギリスから導入された鉄道ですが、個室ごとに扉のある馬車構造は採用せず、前後のオープンデッキから出入りし、車内の中央に通路がある形態でした。なお、中等のレプリカがJR桜木町駅前の「旧横濱鉄道歴史展示」にて紹介されています。 最初の豪華車両は貴賓用客車で、1876治9)年の1号御料車です。明治天皇のお召し車両であり、御座所は布張りの内装でした。台枠と車体のあいだにゴム板を挟み、台車の軸バネの強さを調整できたのは、わが国で初めての乗り心地への配慮でした。 北海道の鉄道は1880(明治13)年に開業しましたが、北海道長官の専用車両である最上級車両「開拓使号」では、アメリカの大型車両を導入していました。座席はテーブルを備えた転換式クロスシートで、車端部にトイレも備えていました。1号御料車と開拓使号は鉄道博物館で保存されています。 なお、1896(明治29)年に関西鉄道(現在のJR関西本線など)が上・中・下等を「白、青、赤」の帯で示し、翌年に官鉄も色分け等級を「一等、二等、三等」に改めた上で採用します。小樽市総合博物館の北海道炭礦鉄道一等車「い1号」は1892(明治25)年製ですが白帯で、全国で前後して色分けが採用されたのでしょう。
車両限界の拡大に伴いクロスシートを導入
この時代は2軸小型客車とボギー台車の大型客車の双方が製造され、JR佐川駅(高知県佐川町)近くの「うえまち駅」で保存されている、1906(明治39)年製のロ481号二等車はロングシート車ですが、洗面所が設置されていました。小坂鉄道(秋田県)の1916(大正5)年製貴賓車ハ1はボギー台車を採用していますが、ロングシートの点は一緒です。 1907(明治40)年に九州鉄道(現在のJR鹿児島本線など)が、クルーズトレインの元祖というべき超豪華車両を導入します。オープンデッキの特別車は2・4人用個室、食堂室、厨房室、ピアノを備えた展望室を備えていましたが、鉄道国有化でほぼ活用されずに廃車。この豪華車両をイメージした観光列車が「或る列車」として、JR九州で走っています。 この豪華車両を参考にしたのが、1912(大正元)年に運行を開始し、最初の特急列車に連結された一等展望車オテン9020形です。安楽椅子を備えた展望室、専用化粧室付きの個室、2段寝台を8人分備えた寝台室を備え、1937(昭和12)年製造のスイテ37040形(後のマイテ49形)まで、特急列車の最後尾に展望車を連結する先駆けとなります。 その後1921(大正10)年に車両限界が拡大されると、最大幅3mと欧州並みになったことで、一・二等車にもクロスシートの採用が増えていきます。 太平洋戦争後の1949(昭和24)年に客車特急が復活し、1等展望車マイテ39形に日本で最初のリクライニングシートが設置されます。日本を占領していたアメリカ軍は、アメリカ式リクライニングシートを二等車に設置するよう要求。この時期の二等車は、ボックスシートのサロ85形や転換式クロスシートでしたから、1950(昭和25)年に登場した特別二等車スロ60形は非常な好評で、「値上げしろ」と乗客にいわれるほどでした。