いつか、そのうち…先送りすることで私たちが失っているモノとは|断捨離提唱者やましたひでこが語る
「いつかやろう」「そのうちやろう」こんな"先送りワード"を日常的に使っていませんか?それらの言葉がもたらすものとは、一体何なのでしょう。『暮らしも心も調う 大人の断捨離手帖』(著者/やましたひでこ Gakken・刊)より抜粋してご紹介します。 〈写真〉『暮らしも心も調う 大人の断捨離手帖』(著者/やましたひでこ Gakken・刊)より ■先送りすることで失うもの 「いつか」「そのうち」といった、先送りワードに惑わされた自分に苦笑するエピソードがあります。 英語ができたらという思いから、大枚をはたいて教材を購入しました。だいぶ昔のため、教材はカセットテープ。残念ながらこの教材の出番は減り、部屋の隅でホコリをかぶるようになりました。「ダメな自分」の証拠品ともいえますが、その一方で「高かったから」「もったいない」という気持ちから、処分するのも後ろめたさがつきまといます。 もちろん、ある日突然勉強がしたくなることは一切なく、英語教材があったことさえ忘れていたある日、押し入れの奥深くで眠っていた大量のテキストとカセットテープを発見したのです。 時代はめぐり、カセットデッキは自宅から姿を消していました。再生するデッキがなければ、カセットテープを聴くことはできません。先送りする間に、そのモノ自体が時代からはずれてしまっていたのです。これではさすがに捨てるしかありません。捨てる理由ができてホッとした反面、捨てる大義名分が見つかるまで教材をずっとしまい込んできた自分がいじましく思えました。 無意識のうちとはいえ、何かを隠蔽し続けるというのは、かなりのエネルギーが必要です。エネルギーを無駄に漏らせて、消耗していると思ってもよいでしょう。「いつか」「そのうち」と先送りするのは、エネルギーのロスであり、スペースのムダづかいなのです。 著者/やましたひでこ 断捨離提唱者、ミリオンセラー作家、一般財団法人「断捨離(R)」代表。学生時代に出逢ったヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」に着想を得た「断捨離」を日常の「片づけ」に落とし込み応用提唱。誰もが実践可能な「自己探訪メソッド」を構築。断捨離は人生を有機的に機能させる「行動哲学」と位置づけ、空間を新陳代謝させながら新たな思考と行動を促すその提案は700万部ミリオンセラー。アジア各国、ヨーロッパ各国において20言語以上に翻訳されている。
ヨガジャーナルオンライン編集部