映画『憐れみの3章』はヨルゴス・ランティモスの真骨頂!──奇妙なストーリーから垣間見える支配、依存、搾取に溢れた社会
『女王陛下のお気に入り』、『哀れなるものたち』の監督ヨルゴス・ランティモスが再びエマ・ストーンとタッグを組んだ『憐れみの3章』が公開される。ブラックユーモアに溢れた一見難解なストーリーを読み解く。 【写真を見る】各章でのファッションやヘアスタイルも見どころ! 『憐れみの3章』をチェックする。
支配と従属を描く3つのエピソード
ヨルゴス・ランティモスの新作『憐れみの3章』は、日本公開題名どおり3章構成になっている。しかし、ひとつのストーリーが3章に分かれているわけではなく、別々の3つのエピソードが並ぶアンソロジー形式だ。ランティモスの前作『哀れなるものたち』(2023)から続投となるエマ・ストーン、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリーに加え、ランティモス作品初参加のジェシー・プレモンス、ホン・チャウらが3章すべてに登場し、章ごとに異なるキャラクターを演じているのも話題である。 3つのエピソードを順に紹介していこう。最初のエピソードのタイトルは「R.M.F.の死」。ヴィヴィアン(マーガレット・クアリー)が暮らす邸宅を、「R.M.F.」とシャツに刺繍された男が訪れるところから物語は始まる。その夜、この男の乗る自動車に、ロバート(ジェシー・プレモンス)の運転する車が追突。幸い男は軽いけがで済んだが、上司レイモンド(ウィレム・デフォー)は、次回はもっと激しく追突せよとロバートに命じる。ロバートは人生の重大事の選択から日常生活まで、すべてレイモンドの指示に従っていた。命令を拒否したことでロバートはレイモンドの信頼を失い、妻のサラ(ホン・チャウ)をも失う。そこから彼の自由な人生が始まるのだが……。 第2のエピソード、「R.M.F.は飛ぶ」。警官ダニエル(プレモンス)のもとに、行方不明になっていた妻のリズ(エマ・ストーン)が帰ってくる。喜ぶダニエルだが、やがて「この女はリズではないのでは」というぬぐえない疑念が心に生まれる。信じない男と、なお男のもとにとどまりつづける女。そこから始まる恐ろしい日々の顛末は? 最後のエピソード、「R.M.F. サンドイッチを食べる」。プレモンス演じるアンドリューと、ストーン演じるエミリーは、あるカルト団体に所属している。リーダーであるオミ(デフォー)とアカ(チャウ)の指示のもと、特殊能力を持つ人間を探していたふたりは有力候補を見つけるが、エミリーの元夫の出現で、事態は思わぬ方向へ向かう。 各章のタイトルから想像されるとおり、第1エピソードで「R.M.F.」の刺繍の入ったシャツを着ていた人物もまた、それぞれ違う役割で全エピソードに登場する。だがそれ以上の共通点が各エピソードにはある。何かにとり憑かれた人々を描いていること、および、支配と従属、共依存のありさまを解剖する物語であることだ。 ■交換可能な人物たち ランティモスといえば、大胆で奇抜なシチュエーションを用いて、異様な心理を極度に拡大して描く作家というイメージがまずあるだろう。そして彼の映画は、撮影や美術、演出も、それに劣らずいつも奇抜で大胆だ。「異様な心理を極度に拡大」するといま書いたが、この映画ではたびたび細部が極度に拡大される(絞られるオレンジ、人物の口元……)。とりわけフェティッシュの対象になるのは人物の足や歩き方だが、『哀れなるものたち』でも、主人公ベラの歩き方がポイントのひとつだったことが思い出される。 だが、細部の拡大や足へのフェティッシュよりももっと気になるのは、特に第1・第2のエピソードで顕著なのだが、影に落としこんだりフレームで切ってしまったりして、人物の顔を意図的に見せないようにしているショットの多さである。人物の顔が見えるかは重要ではない、人物に特異性は必要ない。俳優たちが章ごとに役を乗り換えていくのと同様に、この作品世界においては、誰もが誰かと交換可能な存在だということだろうか。 ■ヨルゴス・ランティモスの一貫性 とはいえ作品全体は、哲学的に深く思索しているというよりは、もっと軽い風刺劇のような印象を与える(そういえば第1エピソードで、オフィスにいるレイモンドが「やりなおし」みたいに指示を出すのは、何だか映画撮影風景のパロディみたいに見える)。ランティモス自身、ユーモアを盛りこむことをどの作品でも意識していると述べているが、実際、この映画を当てはめるのに最も適切なカテゴリーは、おそらくブラックコメディだ。 オープニングで流れるのはユーリズミックスの「スウィート・ドリームス」。「わたしは世界と7つの海を旅してきた/誰もが何かを探している/あなたを利用したい人がいる/あなたに利用されたい人もいる/あなたを傷めつけたい人がいる/あなたに傷めつけられたい人もいる」というその歌詞が聞こえてきたとき、この曲はむしろ『哀れなるものたち』の物語にこそふさわしいのではないかと思ったのだった。ところが映画が終わるころには、『憐れみの3章』もまたこの歌詞のとおりの内容だと思わされていたのだから、ランティモスの問題関心は一貫しているということだろう。 『憐れみの3章』 9月27日(金) 全国公開 配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン ©2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved. 著者プロフィール:篠儀直子(しのぎ なおこ) 翻訳者。映画批評も手がける。翻訳書は『フレッド・アステア自伝』『エドワード・ヤン』(以上青土社)『ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル』(DU BOOKS)『SF映画のタイポグラフィとデザイン』(フィルムアート社)『切り裂きジャックに殺されたのは誰か』(青土社)など。 文・篠儀直子、編集・遠藤加奈(GQ)