ヤクルトに「アホか、誰が行くか!」 新聞で知ったトレード…頭に来た球団取締役の一言
鈴木啓示からの電話で知ったトレード「ヤクルトに決まったみたいですね」
もっとも、この話を伊勢氏はスンナリ受け入れたわけではない。自身が知るよりもスポーツ紙の報道が先だったからだ。「その日の朝8時半くらいに(エースの)鈴木啓示が電話してきて『伊勢さん、トレード、ヤクルトに決まったみたいですね』って言うから『何言ってんねん、ワシ聞いてへんよ』と言ったら『今日1面ですよ』って。慌てて新聞を買いに行ったら、本当に1面だった。で、昼頃に球団から電話があったんですよ。『そういうことになったから行ってくれ』って」。 これに伊勢氏はカチンと来た。「『ちょっと待ってくれ、そんな話はないやろ、まずこっちにこういう話があるけどって言うのが先やろ!』ってえらいもめたんですよ。球団の取締役にも『アホか、誰が行くか』って言ったりしてね」。一時は感情的になったが最終的には「『野球を続けたかったら、黙って行くしかしゃあない』とか言われて……。それやったら、1回、セ・リーグの野球をやってみるかってなったんです」。 ヤクルトでは3歳年下の若松勉外野手と大矢明彦捕手が、キャンプ地の鹿児島・湯之元の寿司店で歓迎会を開いてくれたという。「若松は前からよく知っていたんです。彼がまだプロに入ったばかりかな、オープン戦のゲーム前の練習で私が打っているといつも見に来ていたんですよ。『なんで来るんや』って聞いたら『三原(脩)さんに伊勢さんのバッティングを見てこいって言われた』って。その時、ヤクルトの監督は近鉄をやめた三原さんだったんでね」。 さらに「四国でのヤクルトとのオープン戦の時に近鉄が泊っていた旅館にサウナがあったんです。そこに(1972年に)近鉄からヤクルトに移籍した私より1歳上の外野手の山田(勝国)さんが若松を連れてきたんです。『サウナの後に部屋に来ますか』って言ったら『寄るよ』ってなって。若松も一緒に来てビールを飲んだんです。瓶がゴロゴロするくらいね。それ以来、ずーっと若松とは親しくしていたんですよ」。 師匠の小森2軍監督と、親しい間柄の若松がいただけでも、伊勢氏には大きかったし、ヤクルトに縁も感じたことだろう。実際、現役時代を過ごした近鉄とヤクルトとの関わりは、その後にも続く。近鉄を出る時には大もめだったが、この時、ヤクルトに移籍したことも伊勢氏の野球人生には多大な影響を与えることとなる。
山口真司 / Shinji Yamaguchi