阪神・平田2軍監督、星野仙一氏の命日前に秘話披露 藤川監督のプロ初勝利、闘将からのプレゼントを「俺が持っていった」1・4死去から7年…
中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一さん(享年70)が亡くなってから4日で7年。明大の後輩で2002年から2年間、監督付広報を務めた阪神・平田勝男2軍監督(64)が3日、神戸市内で取材に応じた。藤川球児監督(44)のプロ初勝利時のエピソードを交えながら星野さんへの感謝の思いを語った。 【写真】2002年9月11日のヤクルト戦でプロ初勝利を挙げた現役時代の藤川球児氏 2018年1月4日、星野さん死去の悲報に球界が揺れた。「あれから7年か。あっという間だったよなぁ」。岡田監督は昨季限りで退任し、オーナー付顧問へ-。ヘッドコーチから配置転換となった平田2軍監督は、星野さんと藤川監督との秘話を明かしてくれた。 「球児監督がプロ初勝利を挙げたとき、星野さんが記念の時計をプレゼントしたんだよ。監督付広報だった俺が持っていったんだ。すごく驚いていたなぁ」 藤川監督は高知商高から99年ドラフト1位で入団。プロ4年目の2002年9月11日のヤクルト戦(神宮)で先発で8回1安打1失点と好投し、プロ初勝利を挙げた。 「星野さんは選手の節目節目に記念のモノをプレゼントしていた。特に同じ右の本格派で、プロの壁を乗り越えることができなかった球児監督には特別な思いがあった」 藤川監督は星野監督時代の2年間で2勝しか挙げられず、04年に岡田監督が就任後、リリーフに転向。日米通算245セーブを記録し、球界を代表する守護神となった。 「(藤川監督は)現役時代にタイプの違う2人の監督を見られたのは大きい。岡田さんはもちろん、星野さんは投手出身で投手には優しかった。星野監督だったら、と思いながらアレ(采配)をするんじゃないかなあ」 昨年8月の夏のロード中、名古屋市内にある星野さんのお墓を訪れ、手を合わせた。「ゲリラ豪雨で雷も鳴っていて大変だったが…。ホテルに戻ったときは晴れていたんだよ。広島が首位で(阪神は)打線の調子が上がらず3位争いをしていた時期で、天国で怒っているんじゃないか、と」。 打線はシーズン終盤になると上向いたが巨人に追いつけず、クライマックスシリーズもファーストステージで日本一となったDeNAに敗れた。