加藤清史郎、“こども店長“ブレイク後の今につながる分岐点。市川海老蔵の一言で「役者として生きていく覚悟を決めた」
市川海老蔵(当時)さんに背中を押され
2015年、加藤さんは、六本木歌舞伎『地球投五郎宇宙荒事』で市川海老蔵(現・團十郎)さんと共演。俳優の道を歩むことを決意したという。 「当時は、『やりたい、これもやりたい。オーディションを受けさせてください』って言って、どんどんミュージカルの作品をやらせていただいて。道化師とかサーカスとか…ちょっと不気味な世界を描く『ラブ・ネバー・ダイ』という舞台の初演もやらせていただきました。いろんなからくりがあるんですけど、それを見られたのもすごく大きかったです。 そのあと、まったく違う、歌舞伎という世界で、歌舞伎の中でもかなり新しい挑戦的な舞台で散々お世話になってきた三池崇史監督と、散々お世話になってきた宮藤官九郎さんのもとで、海老蔵さんと『忍たま乱太郎』のときにお父さんだった中村獅童さんと共演させていただきました。 すごかったですよ。あの刺激はなかなか得られないなって思いました。もちろん、歌舞伎に出るにあたって、稽古が始まる前からいろんなことをイチから学ばせていただいて、たくさん教えていただいて見得(みえ)も切ったし…すごかったです、たくさん先生がいたので。 歌舞伎って基本的に演出家の方がいらっしゃらないなかで、三池監督が演出家として座られている。それで、海老蔵さんと中村獅童さんがいて、他にもたくさん大ベテランの方々がいらっしゃるなかで、14歳の僕がちょこんといて、ストーリーテラーもやったし、弟子役かと思ったら、劇中劇のなかでは杖を持って腰を曲げて与駄もやっている。しゃべり方も発声という意味でも、まったく違うものを教えてもらって学んで、もがいて…すごく大きな経験でした」 ――そのときには俳優として一生やっていくと決めていたのですか。 「そのときに決めたんですよね。だから、そういう意味でも僕の分岐点になった作品なのかなって思います。僕は、稽古中にお芝居のことでものすごくいろいろと悩んでいて。 それとはまた別に『将来の夢ってひとつじゃなくてもいいかな、何でもなれるよな』みたいな感じだったんです。俳優さんとして楽しく続けていきたいという気持ちと、野球も好きだし、僕の大好きな阪神の赤星選手は、小学校の頃は野球をやってなかったけど、阪神であんなに活躍してカッコいい姿を見せたんだということは、中学生の僕はまだ(野球選手に)間に合うかもしれないとか思っていて。 休憩時間のときに海老蔵さんに『ずっと役者でやっていくの?』って聞かれたので『野球も好きで迷っているんですけど』って言ったら、『何言っているの?もったいないだろ。14年も役者をやっているのに、そのキャリアと経験を捨ててまで野球をやりたいのか?』って言われて。その一言で役者として生きていく覚悟を決めました。 役者って自分と違う人を生きる仕事だと思うので、実際に東京ドームに立って今のプロ野球選手たちと野球をするわけではないけれど、もしかすると野球選手の役が来る可能性はある。大好きな俳優を続けながら、大好きでなりたいと思っていた野球選手にもなれるかもと思ったら、そっちだよなって(笑)。そういう風に思えたのは、六本木歌舞伎のときが初めてでした」