加藤清史郎、“こども店長“ブレイク後の今につながる分岐点。市川海老蔵の一言で「役者として生きていく覚悟を決めた」
※加藤清史郎プロフィル 2001年8月4日生まれ。神奈川県出身。2009年、大河ドラマ『天地人』(NHK)で主人公の幼少時代を演じ注目され、同年「こども店長」として大ブレイク。2011年、映画『忍たま乱太郎』で主役・猪名寺乱太郎を演じ、同年『レ・ミゼラブル』のガブローシュ役で初舞台を踏む。海外留学後、2021年には、日曜劇場『ドラゴン桜』に出演。その後もさまざまな話題作に出演し、幅広く活躍している。近年の主な出演作にミュージカル・ピカレスク『LUPIN ~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』(小池修一郎演出)、映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』(水田伸生監督)、TVドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』などがあり、2024年5月28日(火)から主演舞台『未来少年コナン』(東京芸術劇場プレイハウス)が上演される。
『レ・ミゼラブル』でミュージカルに魅了
2011年、加藤さんは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』に、革命を起こす学生たちと行動をともにする浮浪児・ガブローシュ役で出演。加藤さんにとって初舞台となった。 「『忍たま乱太郎』の1本目と2本目の間に初めてミュージカルに出演させていただいたのですが、2本目の撮影のときにミュージカルのお仕事と並行してやっていたので、地方公演の際の2週間、名古屋と大阪、博多公演の間で、京都で撮影しました。 ものすごくスケジュール的にはきつかったんですけど、ただ楽しくてやりたくてやっていたので、そこで得られたものはやっぱり大きいんじゃないかなって思います。 『レ・ミゼラブル』は、もともとは事務所の先輩がガブローシュという役をやっていて、見に行かせていただいたのが初めてのミュージカルでした。そこで大人に負けじと走り回って歌っている彼がカッコ良くて、僕もやれるようになりたいと思ったのがきっかけです。 そこで出会ったことによって、そこからどんどん愛が増していって、ミュージカルという世界の良さも知っていって、最終的には、高校時代イギリスに留学した大きなきっかけのひとつでもあります」 ――外国のスタッフとお仕事をされたのは初めてでした? 「声優のお仕事もいろいろさせていただいていたので、どこかでご一緒したりとかはあったと思いますが、『レ・ミゼラブル』の最初は旧演出だったので、ほとんど海外の方とは関わらずにやらせていただいたんです。 その後、2013年に『レ・ミゼラブル』に出たときが新演出だったので、UKチームが来日して稽古をつけるという日々が始まって。あんなに長い間、濃い時間を海外の方と仕事という意味で過ごしたのは、確実にあれが初めてだったので、僕にとってはものすごく大きな経験でした。 専門的な話も出るので、通訳さんを介さないと理解はできなかったですけど、すごく楽しかった記憶はあります。ものすごく柔軟だったし。演出家の方々が、新演出をどういう風にやっていくかというのをすごく試行錯誤しながら稽古場で作っていたんです。 僕がやったガブローシュという役は、最終的に革命のなかで死んでしまうんですけれども、その死んでいくシーンすらも、どうやるかがまったく決まってなかったんです。 旧演出では(舞台に)盆があって、ガブローシュが弾が足りなくなって、すでに亡くなっている敵の死体から弾を抜いて、少しでも弾を補充しようとしてバリケードの外に出る。外に出たタイミングで舞台が回って、バリケードの外側を向くような演出でガブローシュが撃たれて死ぬんですけど、新演出に関してはその盆というシステムがなかったのでどうするのか、撃たれた衝撃でそのまま後ろに下がれるかとか。 何か決まったものをやるのではなく、新たにこれができるか、できそうなのか練習してみようかみたいな風に作っていったのは、あのときが初めてだったんです。子役って、基本的に言われたことをどれだけ即座に柔軟に対応できるかということが、ものすごく大事な能力だと思っていて。 『レ・ミゼラブル』を初めてやったときはすでに決まっていたし、『エリザベート』に関しても基本的な動きなどは決まっていたというか、場面がどう展開していくか決まっているなかで、自分がどう生きるかって感じだったんですけど、そのときの『レ・ミゼラブル』に関しては、全部新たに構築するというのがものすごく新鮮で、僕にとっては大きな経験でした。全然違ったんですよね。 バリケードだけじゃなくて、スライドが全自動で動くようになったり、椅子も自動で出てくるみたいな感じで、それが稽古場ではできないわけですけど、『どうなるんだろう?』って想像して。 たかが11歳ぐらいのガキんちょでしたけど、まじめに聞いて、頭の中でできる限りの想像を膨らませてやっていました。僕にとっては、さらにミュージカルに対する愛が深まった作品です。演劇というものに対してのあり方とか、本当にステキだなって思えたのも多分2013年ですね」