“空白の4世紀”解明のカギを握る大発見! 富雄丸山古墳の発掘調査からみる古代の魅力
古代史はわからないことだらけだから面白い!しかし実際に遺跡が存在するわけで、そこには古代人の何かしらの事情や事実があったのです。それを推理したり想像したりするのが古代史ファンの醍醐味なわけですが、実は専門家の研究調査はまじめで地味な活動なのです。 ■奈良・富雄丸山古墳での大発見 奈良県の富雄丸山古墳で大型蛇行剣(だこうけん)と盾形銅鏡(たてがたどうきょう)という、どちらもわが国初の埋納物が発見されて、その後、非常に保存状態の良い割竹型木棺が調査されました。 4世紀後半の巨大円墳の埋蔵品は国宝レベルの逸物です。まだ木棺から出土した銅鏡三枚の内容発表はありませんが、三角縁鏡が一枚あることは間違いないようです。 私が特異な印象を受けたのは、先に発見された盾形銅鏡も今回発見の三枚の大型銅鏡も、鏡面を上にして出土したことでしょうか。ふつうは背面を上にして出土する例が多いはずです。銅鏡は立てかけて埋納されることも多いので、1600年もの間に倒れて出てきたのかもしれません。ただし盾形銅鏡は鏡面を上にして埋納されていました。 今回はすべて鏡面を上に向けて埋納したのではないだろうか?と私は思うのです。その理由はもしかすると、なにかの物の怪や悪霊もしくは敵対者から鏡面の霊力で被葬者、またはこの土地自体を守ろうとしたのではないかとも思います。 もしそうであるならこの古墳は、そういう「ものども」に襲われる不安があったのでしょうか?なにかそこに重大な理由があったように想像したくなります。 しかもこの富雄丸山古墳の立地は、時を遡れば「登美(とみ)のナガスネヒコ」の領地だった可能性もありますし、佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群域の西南端ともいえる場所に超巨大な円墳が築かれているのも不思議な気がします。 奈良側から生駒山を越えた河内地域に古市(ふるいち)古墳群と百舌鳥(もず)古墳群が造営され始めるころ、佐紀古墳群の造営は続いていました。大型前方後円墳である津堂城山(つどうしろやま)古墳が4世紀後葉に初めて河内平野の古市側のもっとも北に進出します。 4世紀の頃、河内平野といっても生駒山と上町台地の間は大きな「河内湖」という海につながる汽水湖ですから、今の様子とは全然違います。百舌鳥の大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)はもっと海岸線に近かったし、古市側も北方には大きな湾が口を開けていたのです。 そう考えると、奈良盆地に政権の基盤を置いていた初期の大和王権が、徐々に生駒山を越えて瀬戸内に進出してきたことがわかります。その時代にランドマークのように造営された富雄丸山古墳は、盾形や円形の銅鏡と長大な蛇行剣によって、何から何を守ったのでしょうか? 古墳自体がまるで佐紀地域を守る結界のような感じさえします。 ここで私がふと思い出すのは、九州や中国路が不安で甲冑の立ち姿で西を睨んで久能山に埋葬されたという徳川家康の物語です。 現代の私たちが「完全な統一がなされた」と思っている徳川幕藩体制の創始者である神君家康公が、政権の存続に大きな不安を持っていたことを匂わせます。国家創造の初期段階である謎の4世紀はまだまだ手探りで王権建設の最中ですから、相当な不安も政権にはあったはずです。 もしも大和王権の根拠地を守るという強烈な霊力を託した古墳が富雄丸山古墳であるなら、恐る恐る生駒を越えて河内地域に領域を伸ばしていた大和王権の心境が見えるような気もします。自信満々に大阪湾地域に踏み込んで行ったとは思えない、なんらかの不安のようなものが感じられます。だからこそ神武東征でも最初に上陸する大阪湾岸には、権力と権威を見せつける超巨大な前方後円墳群を造らざるを得なかったのではないでしょうか。 百舌鳥古墳群と古市古墳群が一緒に世界遺産に登録されたのは、両地域で交互に古墳が造営された経緯を認めたからで、それにも自信満々に奈良盆地から進出してきたわけではない感じを私は受けます。 百舌鳥地域は瀬戸内海に面し、古市地域は同じく北方に湾をもち、陸路で奈良盆地に通じる要衝です。そこを完全に領地化することはもっとも重要であったでしょうし、万一攻められたらそこを前線基地として防衛しなければなりません。 わが国の古墳は見せるため・誇るための重要なランドマークでもあったのですから、この両古墳群が巨大化したのは、侵略意図を挫くための抑止力効果が理由なのでしょう。 富雄丸山古墳の今は、まだ科学的な調査結果が示される前ですから、私たちファンが推理を逞しくする最も楽しい時期なのです(笑)。私たちが想像を逞しくして楽しむのは良いのですが、研究者の皆さんの真摯な調査と合理的な仮説立証の邪魔をしてはなりません。もともとわずかで貴重な考古史料からわかることは少ないのです。「これ以上はわからない」という結論が普通なのですから、静かに見守りましょう!
柏木 宏之