森且行「夢だったオートレーサーに。日本一になった喜びも束の間、レース中に落車。手術4回の大ケガから、奇跡の復活を遂げるまで」
◆ヤジを飛ばす人たちを見返すためにも絶対的に速くなろう もちろん辛かったですが、そんなことでくじけていたらダメだなと。 ヤジを飛ばす人たちを見返す一番の方法は、絶対的に速くなることです。それからはもう速くなることだけ、一番いいランクに行くことだけを考えて走っていました。 その声が変わったと感じたのは、新人王を獲った時です。25期のチャンピオンになってから徐々にヤジがなくなって、7年目にG2を獲って13年目にG1を獲って、そのあたりから70代、80代のオールドファンも認めてくれたのかなと思えるようになりました。 ただ、それでもヤジはなくならない。だから最高位のSGをとって日本一になるまでは、ちゃんとヤジも聞いて、それに負けないように頑張ろうと思っていました。
◆悲願の日本一獲得から82日後の大ケガ 2020年11月3日、SG日本選手権で優勝し、24年目にして念願だった日本一になりました。22歳でSMAPを脱退してオートレーサーの養成所に入った際、メンバー5人と「お互い日本一になろう」と約束をしていたので、嬉しさと同時に「やっと約束を守れた」と安堵したことを覚えています。 ところが日本一になった82日後、レース中に落車。多発肋骨骨折、肺挫傷、肺血胸、腰椎破裂骨折、骨盤骨折という大ケガを負ってしまいました。計4回手術をして、体の中には24本のボルトが埋め込まれ、当初医師は兄に「命があっただけでも幸運。歩けるようになるかどうかもわからない」と伝えていたそうです。 ただ、僕の中では「日本一になれたのは後付けじゃないのかな?」という思いがあって。ケガをすることを神様がわかっていたから、僕を日本一にしてくれたのかなと考えたんです。だったらケガを治して、もう一度日本一にならなくてはと思いました。 病院での治療とリハビリは苦しかったです。しかもコロナ禍だったため、お見舞いも受けられなければ外にも出られない。でも逆にそれがプラスになったと言いますか、土日も先生に来ていただき「普通の人の2倍お願いします」と頼むことができた。外と隔絶されていたぶん、より体を治すことに集中できたのだと思います。