自転車店、逆風にめげず「子どもの足」なくせない 氷見再訪ルポ
歯抜けになった通りに、冬の海風が吹きすさぶ。液状化被害に見舞われた氷見市中心部の北大町、栄町を貫く県道沿いの目抜き通りは、地震から1年がたち、損壊した家屋の解体が少しずつ進み始めていた。 氷見総局で元日の能登半島地震を体験し、昨年4月に金沢の社会部に異動。12月下旬、久しぶりに訪れた通りは静けさが漂っていた。割れたガラス戸を覆うブルーシートは地震直後より減ったが、家々の傷はまだ癒えない。 「あこも、そこもみんな解体やわ。年明け以降はもっと歯抜けになっとるやろね」。通りに店を構える志浦鮮魚店(北大町)の3代目志浦昭信さん(54)がさみしそうにつぶやく。 県道沿いは、家々がぎっちり隙間なく隣り合い、大きな「長屋」のように連なる。互いに支え合ったおかげか、震度5強の揺れに耐え、家屋がぺしゃんこになるような倒壊は少なかった。 ところが、実際は液状化現象で、家の床に地割れが走ったり、建物全体が傾いたりする重大な被害が相次いでいた。北大町・栄町では、11月末時点で地震前より人口が6・1%減少した。 今季、ひみ寒ぶりは大漁で県外客から問い合わせは多く寄せられるが、志浦さんの顔は暗い。「昔なじみのお得意さんが何人も町から出て行ってしまった。この先どうなるだろうか」と不安を募らせる。 そんな中でも、たくましく前を向く人たちがいる。 北大町の自転車店「河元サイクル商会」は、店舗損壊にめげず、地震1カ月後から車庫を仮設店舗として営業を再開。この日も雨が降りしきる寒空の下、仕事に精を出していた。 「正直いって、通りの雰囲気は沈んどる。でも、そんな中で自転車屋すらなくなったら、この町は終わると思う」と店主の河元宏行さん(50)は話す。それでも仕事を続けるのは、自転車通学する中高生を支える責任感からだ。「子どもの足すらなくなったら、子連れは住まなくなるかもしれん」 店舗兼住宅が全壊判定を受けた栄町の和菓子店「井上菓子舗」も傾いた店で営業を続ける。 「このまちの人の人生の節目に寄り添い、大切な思い出を共有してきた。やめる選択肢はないですよ」と職人の林真由美さん(50)。店を一度解体して建て直すか悩んでいるものの、この地を離れる気はない。ふるさとを思い、前を向く人たちの姿に復興の芽を感じた。 (前氷見総局・土田雄山)