「このままでは会社が終わる」…4000億円の特別損失を計上した窮地で伊藤忠商事の元会長が決めた「驚きの覚悟」
ここで死ぬわけにはいかない
筒井さんは私より一〇歳ほど上で、「上司にも、部下にも、取引先にも、妻にも、嘘をつかない」を信念とし、実際に仕事に対しては一点の曇りもない人でした。ただ、生涯に一度も嘘をつかない人はいません。筒井さんも仕事以外のちょっとしたことで、「丹羽君、申し訳ない。あのとき俺が言ったことは違うんだ。じつは……」と、本当のことを話してくれたこともあります。部下に対してそう言える勇気をもった人であり、「自分もこうありたい」と私は心に刻みました。 筒井さんと長く一緒に仕事をし、思ったことを言い合える関係を続けるなかで、彼の生き方にも影響を受けながら、私の人生の指針は形成されていきました。 のちに私が社長になった頃、会社はバブル崩壊の後遺症で不動産などの不良資産を抱え、大幅赤字に直面していました。上級役員や取引銀行は、一〇年、二〇年という時間をかけて少しずつ償却していけばいいという意見が大多数でしたが、それでは社員がいくら一生懸命働いても、利益は不良資産に吸収され、将来を期待することはできません。 悩みに悩んだ末、私は社長就任から一年半後の一九九九年秋、不良資産を一括処理して三九五〇億円の特別損失を計上することを発表しました。ただ、株価が下がり続ければ、会社は倒産してしまうかもしれません。「そうなったときは自分が死んでもかまわない」と覚悟しましたが、社員や家族のことを考えて、すぐに思い直しました。 私が死ねば、あとに残された社員たちは路頭に迷い、家族や親類縁者は「あれが会社を倒産させて自分は勝手に死んだ丹羽の母親だ、妻だ、子供だ」と後ろ指をさされます。 自分は死んでラクになり、部下や家族には大変な苦労を強いるというのは、私の生きる指針に最も反している。そう考えると、死ぬわけにはいきませんでした。 さらに連載記事〈ほとんどの人が老後を「大失敗」するのにはハッキリした原因があった…実は誤解されている「お金よりも大事なもの」〉では、老後の生活を成功させるための秘訣を紹介しています。
丹羽 宇一郎