亜大は「おじさんばかり」 運命の一言で入学も…驚いた先輩の姿「えらいところに来たな」
川尻哲郎氏は当初早大進学を希望…セレクションに参加も模擬試験で苦闘
元阪神、近鉄、楽天投手の川尻哲郎氏は1987年、日大二から亜大に進学した。早大進学を希望していたが、諸事情で断念。父・公代(まさのり)さんが監督をする草野球チームに亜大野球部出身者がいた縁もあって、練習に特別参加。大方の予想を覆し、矢野祐弘総監督に見込まれて“合格”をつかんだ。これには、先輩右腕の与田剛投手(元中日、ロッテ、日本ハム、阪神)の存在が大きかった可能性もあるという。 【写真】隣には妻の姿も… 古巣の試合観戦に訪れた川尻哲郎氏 日大二高でに甲子園の夢をつかめなかった川尻氏だが、気持ちを切り替えて進路を大学進学1本に絞った。当時はオーバースロー。「球が速いわけではなかったし、これといった目立ったものもなかったので、どこの大学からも声はかからなかった」。第1志望は早大だった。「早稲田って、かっこいいじゃないですか、それで行きたくてセレクションにも行ったりしたんですけどね。結局、頭でいかなきゃいけないし、そこまで自信はなかったんで……」。 学力が大きな壁になった。「野球部のなかで模擬テストがあったんですが、英語は全然わからなくて……。マークシートだから適当につけたんでしょうね。結果4、5点しか取れていなかった。こりゃあ早稲田は無理だなと思って諦めたんです」。そんな時に「友人に東都大学リーグ戦を見に行こうって誘われて神宮球場に行った。僕は(東京)六大学しか知らなかったんですけどね」。それが新たな道へのきっかけになった。 「パンチ(佐藤)さん(元オリックス)と阿波野(秀幸)さん(元近鉄、巨人、横浜)がいた亜細亜と、新谷(博)さん(元西武、日本ハム)や野村謙二郎さん(元広島)がいた駒沢の試合を見たんですけど、すごいレベルが高いと思った。亜細亜大学はその時初めて知った。どこにあるんだろうってところからだったんですけど、東京じゃん、けっこう近いね、みたいな。じゃあセレクションに、いけるなら行きたいなって思ってお父さんに話したら、お父さんの草野球チームに亜大野球部出身の人がいて、お願いしてくれたんです」