人間魚雷「回天」戦死した搭乗員の平均年齢21歳、訓練中含め145人帰らぬ人に…山口県周南市で追悼式
太平洋戦争末期、大量の爆薬を搭載して敵艦船に体当たりを敢行した旧日本軍の人間魚雷「回天」の搭乗員や回天を載せた潜水艦の乗組員の追悼式が、訓練基地のあった山口県周南市の離島・大津島の回天記念館前で開かれた。今年は回天の出撃から80年の節目に当たり、参列した遺族ら約250人が冥福を祈り、恒久平和を誓った。 【写真】海軍の局地戦闘機「震電」
回天は魚雷を改造して開発された1人乗りの特攻兵器。全長14・75メートル、直径1メートルで先端に1・55トンの火薬を積み、攻撃目標に体当たりした。初めての出撃は1944年11月8日。訓練中を含め搭乗員ら145人が帰らぬ人となり、戦死した搭乗員の平均年齢は21歳だったという。
追悼式は回天顕彰会が毎年この時期に開催している。今回は10日に営まれ、遺族や同会の原田茂会長(86)のほか、藤井律子市長や潜水艦の乗組員だった清積勲四郎さん(96)(愛媛県松前町)、自衛官らが参列。全員で記念碑に黙とうをささげ、白菊を供えた。
元搭乗員らの親睦組織「全国回天会」で会長を務めた小灘利春さん(2006年に83歳で死去)の長女裕子さん(71)(神奈川県鎌倉市)が遺族を代表し、「父は一日たりとも散っていった仲間や部下を忘れたことはないと言っていた。これからも平和が続くことを心より祈っている」と述べた。
式の前には、広島市の原爆ドームなどの戦争遺構を訪れた外国人観光客に、大津島にも足を運んでもらう周遊プランを提案している周南市の高校2年生(17)が活動を報告。「史実を広く伝え、平和の大切さを語り、地域に貢献していきたい」と語った。
自身の体験を椎木さんに伝えたことがある清積さんは「自分から勉強していることがうれしい。これからも回天のことを伝えてほしい」と笑顔を見せていた。