300km/h超えが許された最後の時代──日本の名車100選【平成9~12年編】
昭和~平成を駆け抜けた国産名車たち〈その11〉
毎年のように新技術が投入され、日本の4メーカーが世界4大メーカーとして覇権を争っていた時代。300km/h超えを達成したマシンが複数登場することで、のちの300km/h速度リミッター導入へと繋がっていく。 【写真】平成9~12年に誕生した世界最速マシンたち
レプリカブームはリッタークラスへ。速度自主規制発動から世界最速ロマンも終焉へ
ZZ-R1100やCBR900RR、CB1300 SUPER FOURといった大ヒットが生まれたこと、そして教習所での大型二輪免許取得が可能になったことから、1990年代後半はビッグバイクブームが加速していく。そして登場したのは、ドゥカティに対抗しうる国産Vツイン勢。ヤマハTRX850のスマッシュヒットが引き金になっていた面もあるが、いずれにせよリッターレーサーレプリカが誕生してしまったのだ。さらにはYZF-R1がWGPマシンのような車体構成を引っ提げて衝撃のデビューを飾り、翌年にはハヤブサが登場する。「何が最速なのか」という、最速の定義すら書き換える勢いでレーサーレプリカとフラッグシップマシン(のちにメガスポーツなどとも呼ばれる)が頂点を競っていった。そして異形の12Rの登場とほぼ同時に、ハヤブサが先鞭をつけた速すぎる最高速度に対して規制する動きが生まれ、最速キング争いは収束していったのだ。 1997年は消費税が3%→5%へと引き上げられたほか、お台場のフジテレビ新社屋から本放送が開始された。東京湾アクアラインの開通もこの年だ。翌年の1998年は黒澤明監督とギタリストのhideが亡くなった。そしてiMacやウインドウズ98が誕生している。1999年、ノストラダムスの大予言は当たることなく、ミレニアムを迎えた2000年にはイチローがメジャーリーガーに。プレイステーション2が発売されたのもこの年だった。
YAMAHA YZF-R1──CBR900RRの産みの親、馬場さんも驚いた3軸配置
初代ホンダCBR900RRが切り拓いたスーパースポーツカテゴリーには、その後カワサキZX-9Rも追随したが、ムーブメントとしてブレイクしたのはこのR1の登場によってだった。大排気量エンジンを軽量コンパクトな車体に搭載して高い運動性能を発揮するというコンセプトを更に明確に標榜。主要3軸三角形配置によるシャーシ前後長の短縮、その一方でスイングアームを長めとし、よく動くサスペンションとするなど、現代に通じる数々の設計手法が導入された。それまでは900ccが最適解とされていたスーパースポーツ界においてリッター化を果たした意義も大きい。この後ライバルたちもこぞってリッター化。やがてレース界も席捲するのだが、まだこの頃はあくまで峠が主眼だった。 【YAMAHA YZF-R1 平成10(1998)年】主要諸元■水冷4ストローク並列4気筒DOHC5バルブ 997.8cc 150ps/10000rpm 11.0kg-m/8500rpm■177kg(乾)■F=120/70ZR17 R=190/50ZR17 エンジンの主要3軸を三角形に配置するレーサー譲りの手法が超コンパクトな車体に貢献。よく動く足まわりと組み合わせて抜群の旋回性能を実現した。