“日本中に憎まれたヒール”ダンプ松本が誕生した理由 白石和彌総監督が見た過酷なショービズの世界
1980年代にはたくさんの女子プロレスラーが存在していた。そのなかでスターになるためには、白石監督いわく「ただ役割をこなしていただけではダメ」。「年間300試合ぐらいやっていたと思いますが、そのなかでどれだけ際立つことができるのか。いつも観客の想像の上をいく試合をしたからこそダンプさんも、長与さんも飛鳥さんも大スターになれたんだと思います」と語る。
そしてそんな稀代のエンターテイナーたちが、バブル経済期のほとばしるようなエネルギーに溢れていた時代に乗って、大きなムーブメントが起きた。「ある意味でクラッシュ・ギャルズが誕生したからダンプ松本が生まれた。本当はダンプさんもクラッシュ・ギャルズのようにリング上で歌を歌うようなベビーフェイスになりたかったんだと思う。でも同期に先を越されたり、父親との関係など、たくさんの劣等感や負のエネルギーが大きな塊となって、極上のヒールレスラーが誕生したのだと思います」
“ショービズ”という世界において、組織に翻弄されながらも純粋にプロレスに向き合った結果から生まれた“極悪女王”。そんな生々しい姿は、多くの人の感情をわしづかみにするだろう。(取材・文:磯部正和)