「先にまいってはダメだ」と断酒、わずか1分の再会に「会えた!」…袴田巌さんを支え続けた姉・ひで子さんの58年
静岡地裁が袴田巌さん(88)の再審無罪判決を言い渡し、9日に確定するまで、姉・ひで子さん(91)は58年にわたり弟を支え続けた。暗闇の中で闘い続けた半生を、支援者たちの記憶を通じて振り返る。(中島和哉) 【写真】袴田さんとの面会を求め、拘置所を訪れたひで子さんと笹原さんら(1999年撮影)
眠れない夜
1966年6月30日、清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害される事件が発生し、袴田さんは8月18日に逮捕された。ひで子さんは、弟の無実を信じていたが、報道や世間の風潮は袴田さんを犯人視。息を潜めて暮らした。
当時は、袴田さんの兄・茂治さん(故人)が集会を開き、袴田さんの無実を訴えていた。袴田さんの同級生、渥美邦夫さん(89)は集会で事件を知り、支援団体を設立し、署名活動やビラ配りを始めた。
眠れない夜が続き、ウイスキーに溺れるひで子さんだったが、渥美さんらの活動が始まると、「自分が巌より先にまいってはダメだ」と断酒して活動に加わった。渥美さんは「前を向くきっかけになれたかもしれない」と振り返る。
途絶えた面会
ひで子さんは面会のため、東京拘置所に足しげく通ったが、袴田さんは身柄拘束で心を病み「拘禁症」を発症。支離滅裂な発言や面会拒否が増え、95年に面会が途絶えた。当時、支援活動をしていた豊島学さん(79)は、面会結果を無表情で語るひで子さんについて、「先の見えない闘いに不安や無力感があったように見えた」と語る。
静岡大教授の笹原恵さん(61)は、弟の様子を案じて落胆するひで子さんを支えた。
99年2月10日、3年7か月ぶりの面会が実現した。わずか1分の再会だったが、「会えた!」と興奮気味に語ったひで子さんが忘れられないという。2003年には30分の面会ができた。袴田さんは症状が悪化し、ひで子さんに「あんたの顔は知らない」「メキシコのばばあ」などと言ったが、ひで子さんは、弟に会えた喜びから、思わず笑ってしまったという。
「おいしい物を食べても、きれいな景色を見ても、心ここにあらずだった」。04年から姉と弟を追い続けるドキュメンタリー監督の笠井千晶さん(49)は、不定期な面会が続く日々を送るひで子さんについて話す。「巌が獄中にいるのに、自分だけ楽しむ気分になれない」と度々こぼしていたという。