核使用の危機が迫るからこその受賞 ―被団協ノーベル平和賞の先に目指すべきもの
核兵器がなくなるまで喜ぶことはできない
日本被団協の代表委員や広島県被団協の理事長を務め、3年前に亡くなった坪井直(すなお)さん。「核兵器がなくなるまで喜ぶことはできない」と、平和賞を逃した2015年の会見で述べていた。ノーベル賞より核兵器廃絶の方が大事だから、受賞が決まっても大喜びすべきではない。私たちを今、そう戒めているようにも取れる。 「原爆の惨禍はどんなにオーバーに言ってもオーバーにならん。あの日、歩いて見た市中心部は地獄の一語に尽きる」。広島への原爆投下の当日に市民の惨状を、ただ一人撮影した本紙カメラマン、故松重美人(よしと)さんの言葉も脳裏によみがえる。
「被爆者は核実験を許さない。その姿勢を見せ続けんといけん」。そう語った被爆者は長年、核実験に反対する座り込みの先頭に立った。別の被爆者は、絵画を通して惨状を世に突きつけた。「原爆があったんじゃ、人類が絶滅してしまう」と。 ところが、禁止条約が発効したにもかかわらず、九つの保有国は全て今なお、そっぽを向いたまま。それどころか、ロシアや中国、北朝鮮などは軍備増強に走っている。 ロシアはさらにウクライナに武力侵攻し、核兵器の使用すらちらつかせている。歯止めをかけるべき立場の国連は、安全保障理事会の常任理事国による国際法違反の暴挙になすすべがない。中東では、核兵器を持つイスラエルを軸に戦火は広がる一方だ。 保有国が絡むだけに、地域の火種であっても油断は禁物だ。ひとたび核兵器が使われれば、使用は許されないという被団協が築いてきた核兵器の「禁忌」は崩壊する。禁忌でなくなってしまえば、全面核戦争にエスカレートする恐れが生じる。万一そうなれば、人類の自滅につながりかねない。
次世代への縦軸、世界への横軸で被爆者の声を引き継ぐ
核使用の危機にあるからこそ、被団協が平和賞に選ばれた。ノーベル賞委員会は、保有国と、その「核の傘」の下にある国々、そして世界中の人々に警鐘を発したのだ。私たちは被爆国に生きる者として、その意味を重く受け止め、被爆者の訴えをさらに広めていかなければならない。 平均年齢が85歳を超えた被爆者の証言や訴えを次世代へと、縦軸で引き継ぐ。そして横軸へ、世界にも広げることが急がれる。 そのため、足元の被爆国日本政府の対応がこれまで以上に重みを増す。従来は、核抑止論から抜け出そうとせず、今や国民の多くが求める禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加さえ拒んできた。そんな核政策を抜本的に改めさせる必要がある。 9月の自民党総裁選では、原爆の惨禍を身をもって知る被爆者の訴えを軽んじるような発言が相次いだ。 例えば「核共有」。保有国の増加を食い止めようとするNPTの趣旨に逆行している。被爆国の政府が言い出せば、機能停止状態に陥っているNPTの土台を突き崩しかねない。NPTを重要視してきた従来の政府方針とも食い違う。 政府は核兵器廃絶を口にするが、「究極の目標」とするだけで、具体的な行動には乗り出そうとしない。核抑止論への依存の言い訳にも聞こえる。核政策を巡る総裁選での発言からは、そんな政権を支える与党のリーダーたちの腹が透けるようだ。