ドラフト1位で華々しく入団するも、早々にクビになる「高卒投手」は多い “野球賭博”で無期失格になった最悪のケースも
ケガに泣いた高校生ドラ1
2年連続でドラ1の高校生投手が花開かずに終わったのが、1990年代後半のヤクルトである。 1996年の1位・伊藤彰(山梨学院大付)は高3夏の県予選で準々決勝から決勝まで3日連続完投した影響で左肩を痛めてしまう。 故障を不安視し、獲得を見合わせる球団も出るなか、ヤクルトが単独1位指名。調布リトルシニアの先輩・荒木大輔の背番号11を受け継いだが、プロ入り後に肩と右足首の手術を受けるなど、4年間故障との闘いに明け暮れた。4年目の2000年はイースタンで22試合に登板も、0勝1敗、防御率9.96に終わり、1軍登板のないまま現役を引退した。 翌1997年の1位・三上真司(敦賀気比)は、夏の甲子園で8強入り。川口知哉(平安→オリックス)の外れ1位で燕の一員になった“高校ナンバーワン右腕”は、2000年にイースタンで登板23試合、2勝3敗7セーブ、防御率2.21を記録。同年9月28日の巨人戦で9回2死からリリーフし、二岡智宏を4球で二ゴロに打ち取った。 だが、これが最初で最後の1軍登板となる。翌01年はイースタンで防御率11.25と結果を出せず、伊藤同様、4年でユニホームを脱いだ。
野球賭博で引退、そして窃盗容疑で逮捕…
野球賭博に関与して将来を棒に振ってしまったのが、2011年の巨人1位・松本竜也(英明)である。 高校時代は最速146キロの長身左腕(193センチ)で、“英明のランディ・ジョンソン”と呼ばれた松本は、菅野智之(同年は日本ハムが交渉権獲得)の外れ1位として巨人に指名された。 「巨人は一流選手が集まっているイメージ。その中で野球ができることがうれしい。早く1軍に上がれるよう頑張っていきたい」と飛躍を誓ったNPB史上日本人歴代最長身左腕は、3年目の2014年にイースタンの開幕投手を務めるなど、先発を中心に16試合に登板も、翌15年は登板9試合と伸び悩んだ。 そして、同年オフに明らかになった巨人の所属選手による野球賭博問題に、松本も関与していたことが判明。11月10日、福田聡志、笠原将生とともにNPBから無期失格処分を受け、巨人も契約解除になった。 「自分なりに反省している。いろんな人に申し訳ない。興味本位で手を出してしまった」と悔やんだ松本だったが、賭博と引き換えに失ったものは大きかった。 さらに今年5月8日には、窃盗容疑で香川県警高松北署に逮捕され、再びその名がクローズアップされた。あくまで結果論だが、11年のドラフトで巨人が菅野の競合くじで当たりを引いていれば、松本の未来もあるいは違ったものになっていたかもしれない。