「どうしようもなくなっての引退は絶対に嫌だった」中村憲剛が生き様を見せつけた“契約交渉での戦い”
中村憲剛の実体験が示すもの
今回のインタビューで憲剛さんの声のトーンが明らかに変わったのは、「現役時代、0円提示の恐怖を感じた経験はありますか?」と尋ねた時だ。質問を遮る勢いで、彼はこう言った。 「それはなかったです。というか、俺は(契約交渉で)最後まで全部勝ち取ってきたんです!」 プライド、意地と表現すべきだろうか。この瞬間、中村憲剛の生き様を見せつけられたような気がした。 「2018年のシーズン終了後にフロントの庄子(春男)さん(川崎で強化本部長などを歴任)と話し合う中で、40歳までやれる可能性がある契約を勝ち取りました。つまり、19年に大怪我しても、翌年に切られる心配はなかった。ただ、その大怪我で年俸やその他の条件が下がることも心配しましたが、11月でもあったので、庄子さんはそのままにしてくれました。そして引退した20年も、復帰した後も何回も庄子さんからは『気が変わったら(引退撤回の意味)いつでも延長するからな』と契約延長の打診は受けていたので、0円提示は一回もないです。しかも、金額は下がらなかった。これだけは最後まで必死に戦いました」 口で言うほど簡単なことではない。 「庄子さんにどこかのシーズン終了後に言われたことがあって。年俸について、『ソフトランディングで行ければ良いな』って。つまり、『緩やかに下降』って意味ですけど、自分はそれだけは絶対に嫌だった。俺はこのまま引退するんだって。実際、それを成し遂げて、庄子さんにめちゃくちゃ褒められました(笑)。だから、サッカーダイジェストの選手名鑑の推定年俸、変わってないはずですよ」 後日、Jリーグの選手名鑑を調べてみる。推定年俸を初めて掲載した2016年版の年俸が「1億円」で、憲剛さんが現役を退いた20年版のそれが「1億1000万円」。下がるどころか、上がっている(ちなみに、17年版の年俸は「1億円」で、18年版と19年版のそれは「1億1000万円」)。 「それこそプロでのこだわりでした。どうしようもなくなっての引退は絶対に嫌で。身体がきついからとか、年俸がダウンしたからとか、そういう理由で引退したくなかった。最後まで使える選手、出てほしい選手、望まれる選手でありたかったんです」 恐るべし、中村憲剛である。 「簡単じゃないですよね。40歳まで、よくやったなと(笑)」 クラブで活躍して、日本代表に選ばれ、ワールドカップに参戦。さらにJリーグMVPを獲得し、川崎にリーグタイトルなどをもたらす。偉業である。 「日本代表、JリーグMVPとか並べていくと、結構凄いよねってなるんです。ただ、それは結果論に過ぎません。現役時代は毎年、勝負だった。こう終わりたいなっていうプランなんてないわけです。それこそ22歳の時は崖っぷちだったので。当然、40歳で引退する未来なんて想定してないですから」 40歳で引退という道筋が浮かび上がったのは「30歳を過ぎて、35歳になったあたりですかね」と憲剛さんは言う。35歳から5年。体力的な衰えも感じるはずの年齢で、年俸をキープ、いや、むしろアップさせて走り抜いたわけだから、陳腐な表現ながら「凄い」のひと言である。 「最終的には中村憲剛がどれだけやれるかに尽きたという話です。毎年、選手が入れ替わる中で、スタメンでチームが求める成績を残すために自問自答するわけです。今の自分でいいのか、この選手が加入したら思考を切り替えて立ち位置を変えたりしなきゃいけないとか、練習中にずっと考えていました。毎日、毎月、毎年、それを繰り返しやっていました」 夢を与えるプロフットボーラーがどれだけ過酷な職業か。憲剛さんの実体験がそれを示している。 引退後、そんな憲剛さんはプロフットボーラーを見て何を感じているのか。現役時代とは違う感覚を覚えているはずだと思って、その質問を投げてみた。 <パート5に続く> 取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェストTV編集長) <プロフィール> 中村憲剛(なかむら・けんご) 1980年10月31日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ一筋を貫いたワンクラブマンで、2020年限りで現役を引退。川崎でリレーションズ・オーガナイザー(FRO)、JFAロールモデルコーチなどを務め、コメンテーターとしても活躍中だ。
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